生まれ変わりはあるのだろうか | たからしげるブログ

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 前回のブログで「生まれ変わりは、果たしてあるのだろうか」と結んだ。


 生まれ変わりについて、わが国でよく知られているのが、勝五郎の伝承だ。


 江戸時代後半の文化文政期、舞台は現在の東京都日野市程久保と、山一つ越えて隣接する八王子市東中野だった。


 当時、程久保村の須崎藤蔵は1807年2月、6歳のときに流行病の疱瘡(天然痘)にかかって没した。


 8年後の1815年10月、中野村で小谷田勝五郎が生まれた。


 勝五郎は8歳(1822年)の冬、兄や姉と田んぼで遊んでいるときに突然、「おれの前世は、程久保村の久兵衛の息子で藤蔵っていったんだよ」と口走った。


 初めはだれもが不審に思ったが、物は試しと考えた祖母が、勝五郎を連れて程久保村の須崎家を訪ねていった。


 生まれて初めて足を向けた土地にも関わらず、勝五郎は勝手知ったる様子で、たちまち須崎家の玄関まで走っていった。


 勝五郎はだれに教えられることもなく、かつて(前世に)藤蔵だったころの思い出を、いくつも正しく周囲に語れたという。


 そこには、死後に魂となって飛んでいったというあの世での体験談も含まれる。


 伝承の詳細は、当時、江戸に住んでいた鳥取藩主・池田冠山(定常)が書いた『武州多摩郡中野村勝五郎再生前生話』や、国学者・平田篤胤がまとめた『勝五郎再生記聞』ほか、いくつかの文献になっている。


 明治時代になってからは、ギリシャ人で日本に帰化した作家・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)も、随筆に残した。


 勝五郎の伝承をテーマに、日野市の有志による勝五郎生まれ変わり物語探求調査団は、2006年から地道な研究活動を続けている。


 ということで、生まれ変わりは本当にあるのだろうか? という疑問に帰り着く。

藤蔵が葬られている、日野市内の高幡不動尊。勝五郎の墓は、八王子市下柚木の永林寺にある。