きょう、9月6日は、ぼくの誕生日だ。
いくつになったかって?
それは、大した問題ですか?
年を重ねるにつれて、それだけの年の(理想の)自分になっていないのに面食らって、年を隠したくなってくる。
まだ向上心がある証拠だろうか。
SNSをやっていると、多くの知人友人から「おめでとう」のメッセージがもらえる。
その都度、よくぞ生き抜いてきたな、という感慨を新たにする。
しかし、本当に感謝すべき相手は、ぼくをこの世に授けてくれた両親だろう。
父は74歳で、母は95歳のときに、いずれも鬼籍に入っている。
黙して頭を垂れるしかない。
先日、夢枕に亡母が立った。
言葉のようなものは発しなかったが、しっかり生きてますか? といった気遣いのようなものが感じ取れた。
死んであの世へいってまで、わが子のことを心配するっていうのは、さすがに親だ。
父の夢は、もうずっとみていない。
きっと、生まれ変わったのだろう。
人生は一度だけ、とは思えない。
それが一体、どのような仕組みによって動いているかは不明だが、人間はだれしも、宇宙を前進させるためにこの世にあるようだ。
前進させるというのは、言葉を変えていうなら、完成をめざすことだ。
小さな完成がいくつもいくつも重なって、徐々に大きな完成に近づいていく。
人間の一生などではとても達成できない、それは長い歳月をかけた道のりだ。
始まりは、20万年前にホモサピエンスが地上に現れたときなのか、46億年前に地球ができたときなのか?
クレア・ノース著『ハリー・オーガスト、15回目の人生』(雨海弘美訳、角川文庫)を買った。