仕事がすべて知らない間に子育てに役に立ってきた奇跡 | 夕菜の宝箱

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~がん(私)でも発達障害(息子)でも上手くつきあって幸せに暮らすことを目標にする毎日~

2019年で23歳と19歳になる息子たちは宇宙人。(あ、発達障害ともいいます)なので楽しい子育てをさせてもらっています。(まだ進行形なのかいっ)

 

幼い頃の面白い!かわいい!など思ったことや、反抗期のなんともえげつない修羅場なども日記に書いてきたと思うので、探し出してはスマホで読みやすいように転記していこうと思っています。

 

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と、転記を始めたわけですが、私が今より情報が少ない中、比較的楽しんで楽に子育てをしてきた経緯を知ってもらいたいと思ったことの背景を少しご説明したいと思います。

 

私は5歳と1歳の息子を連れて離婚後、猛勉強で保育士資格を取り、同時に半年ハローワーク関連の学校に通ってホームヘルパー1級の資格も取り、同時に再婚しました。~まぁ~なんて忙しい(笑)~

当時は回遊魚のように止まったら死ぬと言われていましたっけね。

 

離婚後2年で再婚して少し家計に余裕ができたので子どもたちが小さいうちはフルタイムではなくパートで保育士の仕事。

ときどき1年契約でフルタイムの0歳児担任をすることもありましたがパートは主に障害児のサポートが多く充実した日々を過ごしていました。

 

若い保育士さんが苦手だと言われる保護者対応も「自分も保育所に子どもを預けている保護者」の立場の私は全く苦労なしですし、今まで自分の子どもしか見ていなかったので当たり前だと思っていたけど、多数の子たちはこうなのかっ!!と目からうろこのこともあり、楽しいことばかりでずっと続けていくものだと思っていました。

 

しかし次男が小学1年生になる年、とある公立保育所で0歳児クラスのパートとして話があり受けたものの、年度途中でクラスの人数が増えると必然的にフルタイム勤務の担任になるのが前提だったと後から知る事態が起こり、いろいろ考えさせられました。

 

当時そのクラスにいた公務員のベテラン先生に夕菜先生の働き方はもったいない~正職員とそうでない違いって後々絶対に出てくるから~まだ若いんだから~と1年間言われ続けたこともあり、子どもの保育所送り迎えが無くなったいい機会だかも!と、公立保育所パート勤務に終止符を打つことにしたのです。

 

でも、私立保育所での正職員ではやはり勤務の時間帯が子育てと全く合わないものでした。

 

働く親が預けて出勤時間に間に合う時間から仕事を終えて迎えに行く時間まで保育園開いているわけなので当然シフト制。

 

パートは真ん中のいいところだけの短時間だったりもしますが、正社員はそうもいかず早いのも遅いのも子育て中には厳しい条件。以前から勤務していてそうなってきたのなら配慮があったかもしれませんが、今から就職というときに配慮してくださいとも言いにくく無理だな・・・と思ってしまいました。

 

そこで、真ん中の時間だけでなんとかなる似た仕事を・・・と考え、もうひとつ取得したまま放置だった介護系か!とデイサービスの正社員に転身。

 

保育では「人が成長する」いうことが日々勉強になり、自分の子育てにも役立ちましたが、介護の世界は正直「まだ自分にはあんまり関係のないことかな」と思っていました。

 

ところが、案外リンクしているものでした。

 

お世話をするのが介護ではない。

人生をどう素晴らしく全うするために、自立支援を行うのが介護だということ。

通所の介護施設を利用している方には基本姿勢は「見守り」なのだと。

 

保育にも全く同じことが言えます。

 

お世話をするのが保育ではない。

毎日を楽しく暮らしていくために、自立していけるように支援をするのが保育。

多少めちゃくちゃでも「できた」のやる気の気持ちを大切にする「見守り」が基本。

 

そうなんですよ。

障害のあるとかないとか関係なしに、全員にいえることなんですよね。

 

もちろん、通所サービスを受けていらっしゃる高齢者とひとくくりに言ってもいろいろな状況、状態の方がいらっしゃるので一律に同じ支援ではないことは確かです。

 

もちろん「できること」を奪ってしまいどんどん状態を悪化させてしまう過剰は介護はNGですが、「自立支援なのだからできるのだったら見守りに徹するべし」という一般論だって当てはまらないことも多々あると思います。

ふだん自宅でめいいっぱい頑張っている人、頑張りすぎている人には介護職員がいる時くらい少し楽をしてもらう時間があっててもいいと思うし、身体的な支援だけではない、精神的な支援も重要。

 

いや、こちらの方がむしろ重要?と思ったりもしていました。

 

例えば、何気なく話されるものの「そうなんですかぁ・・・」「うん・・・うん・・・」と聞いているだけではどんよりから抜け出せないケース。

 

反論しないのが聞き手の基本。しゃべるだけしゃべってすっきりされる方もいるのですが、でもそうでない人も実際は多いですよね。自己否定の強い方は、自己を肯定してほしくて話しているな?と感じることは多々ありました。

 

例えば真夏の暑い日のこと

「もうわし、しんどいし、あかんわ・・・この夏は越せる気がせん」とどんより疲れて来所した90代の男性がいました。

 

(心の声・・・確かにそうかも。もう90歳超えているし←いやいや、いかんいかん)

 

だからといってテンション高く「そんなことないですって!大丈夫ですよぉ」など言っても「元気な君らにはわからんわ」と機嫌悪くされること間違いなし。きっと一日どんよりした気分のままでしょうよ。

 

そこでじっくり傾聴したのち、この夏の暑さは異常で私たちも辛すぎます~的な話からはじめて、「あなた一人ではない」となんとなくわかってもらい、あとは「勇気づけるエピソードを畳みかける」作戦です。

 

一人暮らしで家で倒れていたのを発見されたのに蘇って今があるというすごい生命力を称えたり、私は震災で神戸の街がボロボロになっただけでショックだったのに、〇さんは戦争のときもなんですよね?とどんどん過去に話を振っていくと「そうや~焼夷弾がな・・・」と、若い頃の苦労話なんかを話してなんか元気になってきている。

 

なんや元気出てきたわ!とニコニコ帰られる姿を見て、よかった♪せっかく今を生きていられているのだから、暑さはクーラーをつけて快適にして元気出していこう♪と思ってもらえたな・・・という仕事をしてきました。

 

人は認められたい、ほめられたい、誰かの役に立っているという実感を持ちたいという願望があるものなんだな・・・と思います。それは小さな子どもであっても、高齢者であっても同じことなのかな。

 

だから、子どもたちを育てる上でも接し方は普通に応用が効いたし、丁寧に接していけば困らないな~と思っていた次第です。

 

小さい頃は寝たら褒められ、食べたら褒められ、立った、歩いたの一つ一つで喜んでもらえて・・・ですが、

だんだんと「褒められる行動」は少なくなってきます。←きっぱり(笑)

 

そんな中、私がバイブルにした心理学の考え方で、実践していった方法も別の機会にご紹介していきますので、

「褒めることがいいとはわかっているけど、難しいのよ~」と悩んでいる最中の方にぜひ参考にしていただきたいです。