ときどき、授業の後の感想用紙に、内容とは少し違った追伸や質問が書かれている。これを読むのが楽しい。


 先週、こんな質問が寄せられていた。


 『先生は、よく授業で、子どもたちの書いた詩を紹介してくれたり、詩や絵本のお話をされたりします。ぼくも好きなんですが、山﨑先生が特別、詩や絵本を教育でとりあげる理由はありますか』


 それで、ぼくはこの間の授業の始まりに答えた。

 「NT君の質問に答えましょう。

 およそぼくは、3つの理由を考えています。簡単にお話しましょう。


 第1に詩や絵本は、子どもの心を深くとらえ、わくわくするような物語の世界、不思議の世界、未知の世界に連れて行ってくれる。彼らの持つ強い“好奇心”にぴったりだし、子どもは、空想や想像の世界に入り込んで、その場面と一体化して遊ぶことができるのです。心躍らせ旅をして再び戻ってくる。それは、すごく楽しいことです。


 第2に詩や絵本はね、子どもが今抱える“表層の世界”(彼らをとらえる“うわべの世界”と言ってもいいね)をくぐり抜け、日常のしがらみを離れ、子どもが(人間が)本来持っている“命の根源”“その子らしさ”のようなところに響き訴えかける力があると思うの。この深い基盤が揺り動かされるとき、子どもの納得と安心と新たな命の再生が始まると思うね。


 第3は、詩や絵本を読むと、その世界は一瞬にして子どもたちの心をつかんんでしまう。その瞬間から、その場には『競争原理』や『成果主義』などが働かず、どこかに吹っ飛んでしまって入り込む隙間もなくなる。

 そして、そこにいる誰もが、フラットで平等な時間や空間を、共に想像しながら楽しめるんだ。だから、絵本を読んであげたりすると、6年生の“荒れる”子たちも、幼い子どもみたいに物語に聞き入っていたんだ。その力は大きいと思うね。

 詩の世界の場合は、書かれた言葉が言葉を越えて心や体の深い部分と触れ合って揺り動かされるでしょ。

 およそこんな理由がつけられるかな…」


 それから、ぼくの書いた1冊の詩集を手に取りながら言った。

 「これは、ぼくの書いた『教室詩集 ―ぼくたちの宇宙』です。半分は学級通信で子どもたちに向けて書いたもの、あと半分は、子どもの心がわからなくなったり、何だか自分の子ども時代を振り返ってみたくなった時、―それは宝物のような時間だったからね―、思い出して“時を止める”みたいに詩に書いたんだ。

 自分の子ども世界をちょっと振り返ってみたいと思う人は、手にとってくれるるときっと何かを思い出しますよ…。懐かしさがよみがえってくると思います」


 この日、授業が終わると先ほどのNT君がやってきた。

 「先生、その本、ぼく1冊ほしいです!」

 感想用紙には、Mさんも「先生の書いた本、欲しいです!」と書いてあった。

 来週、持って行こうと思う。