岩波ブックレット『福島から問う教育と命』(中村晋・大森直樹著)を読む。

 ぼくにもわかるやさしい表現で全体は書かれている。しかし、書かれた内容はあまりにも重い。

 繰り返し、ぼくの内部に、身体に、心に染み込ませるように読まねばならない気がした。


 例えば、福島の高校教師中村は書く。

「当時私の勤めていた学校のグラウンドは、毎時1.8~2.0マイクロシーベルトの値を示していた。通常値は0.05程度。つまり40倍近い数値の中、生徒は運動していた」

 (このとき彼は定時制の教師で全日制の生徒たちの様子をみて記している)

「サッカーのキーパーが横っ飛びにボールに飛びつく。砂まみれになる。

 野球のキャッチャーが、ホームに突っ込んでくる走者と交錯する。砂埃が舞い上がる。正直、私は見ているのがつらかった。学校はこういう状態を放置していいのだろうか。…」

 しかし、一人の思いだけを伝えきれない。なぜなら文部省はこのとき(2011年4月19日において)、暫定措置として毎時3.8マイクロシーベルト以下であるなら、校庭を使用してもよいという基準を発表していたのだ。


 さらに学芸大学准教授の大森直樹は書く。避難すべき放射線量の一年間の積算量に関して。

「年20ミリシーベルトを超える地域の人々には避難を求めるが、年20ミリシーベルトを超えない地域の人々には最小限の対応しかおこなわない。そうした政策の方向性が、この『指示』(2011、4,22)によって鮮明になった。チェルノブイリ原発事故(1986年)から五年後の1991年に成立した『チェルノブイリ法』が年5ミリシーベルトを超えた地域の人々に避難を求めていたことと比較すると、日本では住民の安全基準が4倍も緩和されてしまった」


 こうした状況を中村の生徒たちの一人は次のように発言している。

『先生、福島市ってこんなに放射能が高いのに避難区域にならないっていうの、おかしいべした(でしょう)。これって、福島とか郡山を避難区域にしたら、新幹線を止めなくちゃなんねえ、高速を止めなくちゃなんねえって、要するに経済が回らなくなるから避難させねえってことだべ。つまり、俺たちは経済活動の犠牲になって見殺しにされるってことだべした。俺はこんな中途半端な状態は我慢できねえ…』(朝日新聞への中村の投稿文のなかで紹介されたもの)


 さらにこの本には、子育てをする親たちの苦悩と生き方の選択を強いられる辛い状況や学校の姿等も描かれている。