竜岩窟 スキー | スキーと登山 髙波太一ブログ

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山とスキーのいろいろ

190417
鈴木牧之著「北越雪譜」二編巻之四
に「苗場山」の項があります

文化8年(1811年)7月6日(旧暦)に牧之が
友人4人、従僕等と共に三俣から登頂した
山行記録となっています

この中で 山頂の小屋にて憩いながら
「案内者」の話を聞く場面があります


ー 案内者いはく、御花圃(おはなばたけ)より
まへにいひたる所 別に経ありて
竜岩窟(りうがんくつ)といふ所あり、
窟の内に一条の清水ながれ
そのほとりに古銭多く、
鰐口二ツ掛りありて神を祀る。
むかしより如斯といひつたふ。
このみち今は草木に塞れて
もとめがたしといへり。


また、赤湯温泉山口館の山口英二さんなどより
棒沢の何処かに実在する
と言う所までは聞いていましたので、
いつか探索したいと思ってた場所でした

この度機会に恵まれ、
Yさんが案内してくれました

Yさんは古老の話と地図データ、GPSを頼りに
3年掛かりでその位置を発見したスゴい人
感謝の極みであります


・近世になってからも秋山郷のクマブチなどが
使っていたとの話より、積雪期または残雪期
・遡行するか上からスキーでアプローチか
・リュウかユウの付く地名
この辺りが手がかりでした


今回は残雪期、スキーでアプローチ
標高を稼いでから いざ探検へ出発

道中には個性的な木々

根が絡まりあって橋のよう
リスや小人が渡って行くのでしょうか

少し見方を変えると
怪物が大口を開けているようでもあり

荒魂、和魂の話のようですね

ニョキニョキと、ネズコ(クロベ)
いつもながらこの木の生命力には
関心させられます

小赤沢ルートでも面白い木が沢山見られますょ♪

新しげな爪痕、、
時期的に活動しているはず:(;゙゚'ω゚'):

Yさん手製のロケット(花火)ランチャー
及び爆竹にて、音と火薬の匂いで威嚇します
猿避けに使っているものを応用したそう

クマに関しては以下のサイトに詳しく
さすがマタギの本場

ぐさぐさの雪こざき
しかし量的には申し分ありません
これより遅いとヤブが出てくる事でしょう

セッケイカワゲラ
春の風物詩

私は「雪虫」とか「根性虫」と呼んでます
いつも一心不乱 何処から出てきて
何処に向かって歩いて行くのでしょうか

五分の魂が漲っていますね

やがて昨年発見時のGPSログに従って現着
外観からは周辺にもある巨岩と
見分けが付きません

つくづく、良く見つけたものだと

入口は雪に埋まっています
侵入口を偵察、、

ここと言う所にスコップで道を付けました
積雪は沢の中とあって245㎝

念願の 中へ、、!

入口は狭かったですが
奥に行くほど天井が高くなっていて、
楽々人が立てるほどです

北越雪譜にある通り岩の隙間から
清水が流れ出していて、こんなに居住に
適した天然の窟は無いのではないかと言うほど

石が置かれた天井は煤けていて
焚火の跡が思われます

小さな川を挟んで東側は陸に整えられていて、
寝床に敷いた草が土に還ったのか、
腐葉土のようにフカフカしています

枕元辺りに支柱が立てられ、スコップと
手編みのカゴ、中に何時の物か分かりませんが
衣類が掛けられてあります

片隅にはビールの空缶やビニール、ケンスコ、
鍬、胃腸薬の缶、トリスウイスキーの空瓶、
割れた茶碗、湯呑、塩や味の素、お茶っ葉、
一斗缶、ポリバケツなどの
ゴミ捨て場がありました

意外と最近まで来訪者は居たようです

鰐口や古銭は見つけられませんでしたが
うっちゃられた鉄?の剣と台座を
葉っぱの下から掘り出しました

当時の狩猟者達が猟の成功、
自身の山中での安全を祈願していたかと
思いを馳せます

簡単な見取図
成人男性5〜6人は楽々寝られます
その後、2時間ほど滞在して引き上げました


文献や昔話だけで知っていた存在が
いざ本当にあった事が分かり
奇妙な、それでいて静かに胸踊る
夢が現実に現れたような
初めて北越雪譜の苗場山の一文に触れた時
以来の解答が得られた気持ちでありました

労せずして行けてしまった事に
いささかの申し訳なさを感じます

しかし今回また一つ苗場の深みを知る事ができ、
自分史に残る探検記となりました

帰りの最中、スノーシューガイドの定番
サワグルミの寝顔(葉痕)を観察
( ˘ω˘ )スヤァに似てますょね


今夜はシュリーマンの夢を見ます☆
( ˘ω˘ )スヤァ


山岳指導員 高波太一