<2024.04.05>

ツーショット写真🔗挿入(最下段)
<2024.03.11>起稿

 

 

  2024年3月10日
「松山千春 ON THE RADIO」(2)

 

2024年3月3日に亡くなられた打楽器奏者(パーカッション)のラリー寿永さんを偲び、多くの時間を使って語っていた。

 

 

また、ラリー寿永さん繋がりで、松山千春の当時のバックミュージシャン(レコーディングミューシャン)を紹介しながら、懐かしそうに、嬉しそうに語っていた。その語り全文を以下に記載した(ボールド)。

 

 

(ラリー寿永さん:左と松山千春/1982年)

 

(03:08~)
いろんな方が亡くなられていく…そんな中で3月3日、なんですけど、我々と一緒にコンサート、あっちこっちへ旅したり、あとはレコーディングでスタジオで一緒にプレーしていたラリー寿永、俺たちは「ラリーさん」「ラリー」って呼んでたんだけど(ラリーさんが亡くなりました)。

 

いわゆるパーカッション、コンガとかボンゴとか、あとベルツリーか?(…)最っ高の男だったんですよ。まぁ、ほんとにあんなミュージシャンはもう出て来ないだろう…ってな、今のミュージシャンとも話すんだけど。

 


(笛吹利明さん:左と松山千春/1982年)

笛吹(利明)さん、これアコースティックギター(奏者)、最初の頃俺とずうっとやってくれてて。その後、長渕、もう長渕のプロデューサー、みたいなかたちでずっと関わっている笛吹ちゃんからメールが入ってな。

「千春、ラリーが死んで悲しいなぁ」

昔、もう40何年前だからな、デビューして間もなくのツアーのメンバーだからな。

 

サックスの佐野(博美)ちゃんやドラムの島村(英二)、チェロ阿部(雅士)、ビオラの民さん(鈴木民雄)、エレキギター幾見(雅博)・松原(正樹)、ベース長岡(道夫)、ミッチーだな。そしてアコースティックギターが笛吹ちゃん。

 

「このメンバーでもう一回、ステージやってみたいなぁ。みんなでよくそんな話しをしてるんだぞ」って笛吹さんからメールが入っていて。俺はちゃんと返信して「笛吹ちゃん、ほんっとにラリーは最高のやつだったね。笛吹ちゃんも体、健康に気を付けて、これからもいいアコースティックギターを弾いてくださいよ。いつかみんなで会えて、コンサートができれば」っていう返信をしましたけど。

ラリーは群馬県は館林。生まれも育ちも館林。俺が今から48年前か?レコーディングする時にもラリーはいたしな。パーカッションとして。それから10年近くコンサート、一緒にいったんじゃないかなぁ?

 

ラリーさんって、ま、パーカッション、もう最高なんだけどさ。(この後、ホールの食堂で親子丼を頼んだからそれが不味かったため、ラリーさん自身が厨房に入って自分で料理し始めたエピソードを紹介)なかなかいないぞ、そんなミュージシャン。俺もびっくりしたもん。

それとなコンサートをやってる最中、例えばコンガが入ってきたり(いろんな鳴らす楽器が入ってくる)。で、俺が歌ってて、「いや、ここでその音はないだろう?」…そう思って俺がばっと後向いてな、ラリーの方を向いたらな、ラリーが手でね(自分の首にあてて)「クビ?クビ?」ってやるんだ(笑)。で、俺が“そうだよ、だめだよ、それは”…みたいなな(笑)。とにかく楽しいコンサートをずっとやってました。

当時はラリーと言ったらパーカッションの世界ではやっぱりトップだわな。(…)腕はすごいのよ。腕はすごいんだけど、とにかく毎日の生活がチャランポランなやつでねぇ(笑)。でも最高に好きなミュージシャンでした。

 

そんなラリーが亡くなった、っていうのを聞いてね、当時のメンバー連中もね、まぁ、驚きと悲しみ…“ああ、自分たちもそういう歳なんだなぁ”みたいなね。ほんとに楽しかったなぁ。

 

大原(茂人)っていうピアニストが、まぁ、そうだな(メンバーの)ボスだよな。で、佐野ちゃんっていうサックス(上記)、ドラムは島ちゃん(同)。島ちゃんがまた上手いからなぁ。島ちゃん、年なのに今でも頑張ってるからなぁ。阿部ちゃん(同)、阿部ちゃんはチェロだから。(阿部さんのお母さんが世界的なフルート奏者であることを紹介)

 

そしたら、ラリーが「千春ちゃん、千春ちゃん、阿部ちゃん、阿部ちゃんのお母さんすごいんだよ」「えっ?」「阿部ちゃんのお母さんはね、世界的な尺八吹き」「ラリー(笑)、尺八じゃないだろう?フルートだろう」「ああ、そうそうそう、フルート、フルート」…フルートと尺八を間違えるほど(笑)、いい加減なミュージシャンでした。

 

民さん(同)、幾見さん(同)にもエレキギターでお世話になったし、ベースはミッチー、長岡(同)。笛吹ちゃん(同)にはギターでいろいろ教えてもらうこともあったし。

 

松原正樹さん|大原茂人さん

幾見雅博さん|島村英二さん

 

長岡道夫さん

 

そしてみんながその業界で、エレキならエレキで、松原もそうだけど。これから一番になっていく、ドラムの島ちゃんも、これから一番になっていくっていう、笛吹ちゃんもそうだけど、そういうメンバーだったんだよ。だから勢いがあるからね、たまらないよな。だから毎日毎日が楽しいんだよ。音楽ってこんな楽しいかって思うぐらいね。だって毎日みんなが腕を上げてくんだもん。それが分かるんだもん。

 

そうやって考えたら、やっぱり初めの頃、彼らと出会って、コンサートへ出て、歌わせてもらったってのが、今日(こんにち)に至る。ほんとに彼らには感謝しながら、とくに亡くなったラリー…。お前、あの世でもさ、文句言ったりするなよ(笑)。ちゃんとやってけよ。お前、俺たちがいたからさ、事件にもならないで丸く収めて来たけど。

 

まぁ、ほんとにそんなラリーさんが大好きでした。俺の曲の中で、コンガ、ラリーが活躍する曲がありました。私が26歳の時に出した曲です。

 

松山千春「サンバ」

 

 


(20:55~)
しかし今思えば、25、26歳の時一緒にやってたツアーメンバー、ま、ミュージシャン。ほんとに面白い連中ばかりで。今俺がコンサートやってるメンバー、古いのは夏目(一朗)、キーボードの夏目ぐらいかな?あとは結構若くして入ってきてくれてるんだけど。

 

要はさ、俺が一緒にやってた最初のメンバーたちがさ、どんどんどんどん上手くなってギャラが上がっちゃってさ、もうこのメンバーでは…何よりもメンバーギャラが一番高いじゃないか、って話しになってな。それでメンバーそれぞれ代わっていく羽目になったんだけどなぁ。けど、今でもばんばん活躍してるメンバーなんだけどなぁ。
 

ラリーが、すごいなぁ、こいつはミュージシャンとしてすごいなぁ、って思ったのが…。一緒にツアー回ったり、レコーディングしたり。まぁ、10年近くやってきて、ラリーの方から

 

「千春、パーカッション、斉藤ノヴ、使ってやってくれないか?俺はもう歳だし、期待に応えられるようなコンガもはたけない(叩けない)だろうし、ティンバレスもはたけない(同上)。ノヴは今絶好調でどんどん力をつけてるから、千春、ノヴとやってやってくれ」

って来たんだよ。で、俺がさ

 

「ラリー、何言ってんだよ、お前。確かにノヴは力つけてるし、今、パーカッションでは一番上手かも知れない。けどお前、音楽って上手い下手でやるもんじゃないぞ。やっぱり歌う人間とメンバーと一緒の気持ちになって、盛り上がるところは盛り上がる。静かに歌うところは静かに演奏する…そういう歌心、気持ちが分かって初めてバックメンバーだから。そうやって考えたら、確かにノヴは勢いがあるけど、ラリー、俺はラリーのコンガが好きなんだ。だから頼む。このまま一緒にやってくれ」

…そんなこともあってね。ああ、ラリーはいろんな意味で一流のミュージシャンだったんだなぁと思いますよ。みんな、立場は違うけどさ。もしだぞ、自分より上手いなというやつが出て来た時に、それが言えるか?「いやぁ、俺よりももっと上手いやつがいるから、こいつと代えてくれ」…なかなか(言えないぞ)。「俺よりもこいつの方がもっと仕事できるから、こいつを上にしてやってくれ」…言えないよなぁ。まして、音楽の世界だからなぁ。そういう意味では、いろんな意味でラリーには感謝します。 (以上)

 

(松山千春LP『大いなる愛よ夢よ』

インナージャケット/1982年)

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上の「サンバ」に関連して、この曲は1982年7月、札幌・真駒内屋外競技場に5万1千人を集めて開催されたライブでも歌われ、そこでのパーカッションもラリー寿永さん。

 

ラリー寿永さんのパーカッションのみならず、ドラム、ベース、エレキギター、ピアノ、フルート…上で松山千春が紹介していたミュージシャンたちの見事な演奏。

 

その時の公式ライブ音源で「サンバ」

 

 

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(2024.04.05挿入)

 

 

 

【変更履歴】

<2024.03.15>再掲