<2024.03.11>再掲
<2023.08.08>起稿
(石巻市大川小学校周辺/2023年8月8日筆者撮影)
2011年3月11日に起こった東日本大震災で、宮城県石巻市の大川小学校は津波にのまれ、全校児童の7割に相当する74人の児童(うち4人は未だ行方不明)と10人の教職員が亡くなった。
地震発生から津波到達までには約51分、ラジオや行政の防災無線で情報は学校側にも伝わりスクールバスも待機していたにも関わらず、学校で唯一多数の犠牲者を出した。
2021年7月18日より「石巻市震災遺構 大川小学校」として公開が開始された。 遺構は校舎、プール、屋外運動場、野外ステージが保存されている。 遺構の中に立ち入ることはできず、柵の外側から見学する。
2017年に一度近くまで来たが、当時はまだ遺構として整備されておらず、ほぼあの時のままだった。亡くなられた子どもたちのことを思うと切なくなり、途中で引き返した。
遺構として整備されて以来、一日も早くここに来て、亡くなられた方々へ追悼の祈りを捧げたかった。8月8日、やっと来ることができた。
詳細は上にリンクした映画「生きる」記事に残した。あの日何が起きたのか。なぜ先生の指示を受け校庭で待機していた子どもたちは亡くならなければならなかったのか―一人でも多くの方々にぜひ訪れていただきたいと願う。
(リンク)
「駆けて来てよ」―廣瀬 奏
大川小学校から車で40分ほど、石巻南浜津波復興祈念公園近くに「石巻市震災遺構 門脇小学校」がある。2022年4月3日に遺構として公開された。
東日本大震災で門脇小学校は津波で校舎の1階が浸水した。その後、児童の安否を心配して駆けつけた保護者たちが校庭に停めた車が津波で流され校舎にぶつかり、流れ出たガソリンが引火して校舎が3日間燃え続けた。
学校にいた児童224人と保護者は、先生方の迅速な誘導で裏山に避難して無事だった。
(リンク)
東日本大震災が発生した年の末、「NHK紅白歌合戦」に出演した長渕剛はこの門脇小学校の校庭で「ひとつ」を歌った。震災で亡くなった人々を追悼し、残された人々の言葉にできない胸の内を歌った。