(2017年9月筆者撮影)
中野サンプラザ、今日、7月2日閉館。「若者たちに居場所と夢を」―作り手たちが建物にこめた願いが生き続けた50年。
ホールの最終公演は「山下達郎 PERFORMANCE 2023」
「全国勤労青少年会館」。開業当初の正式名称よりも、公募で決めた「サンプラザ」という愛称の方が圧倒的に有名だろう(春秋)
2023年7月1日 日本経済新聞
「全国勤労青少年会館」。開業当初の正式名称よりも、公募で決めた「サンプラザ」という愛称の方が圧倒的に有名だろう。東京の中野駅前に50年前から立つ複合ビルだ。横から見たときの三角形のシルエットが独特で、「東京ピラミッド」と呼ぶ向きもあったという。
▼音楽公演の会場として知られるが、本来は上京して働く若者らが孤独に悩まないための施設だった。ボウリング場、図書館、サークル室、法律や結婚の相談所――。地方紙を読めるコーナーを設け、3分間無料で故郷に電話できるイベントも開いたそうだ。故郷のニュースや親の声は、寂しさへの特効薬となっただろうか。
▼かつてはフォークソングや洋楽、近年はアイドルの公演が多く、正面広場は観客が交流する場になった。若者と寄り添ってきた建物があす閉館する。「さよなら中野サンプラザ音楽祭」と称し連日コンサートが続く。ロビーでは熟年夫婦が古いイベント資料の展示を眺め、コスプレのアニメファンは記念撮影に余念が無い。
▼愛称のサン(太陽)には、若さに満ちたエネルギーの象徴という意味を込めたそうだ。プラザは人が集まる広場を指す。観客だけでなく、舞台に立つ歌手やタレントにとっても、小さなライブハウスの次にめざす場所となった。若者たちに居場所と夢を――。作り手たちが建物に込めた願いは、50年間生き続けたといえる。
中野サンプラザ、来月2日閉館 「100年に1度」一帯再開発 駅周辺で11計画進行 文化芸術、発信力高める
2023年6月30日 日本経済新聞 地方経済面 東京
東京都中野区のランドマークとして知られる「中野サンプラザ」が7月2日、都市再開発に伴い閉館する。国内外のアーティストが公演する都内有数のコンサート会場として親しまれてきたが、50年の歴史に幕を下ろす。中野駅周辺も一帯として再開発し、文化の発信地としての存在感を高める。
中野サンプラザは1973年に「全国勤労青少年会館」として開業。当初は親元を離れ、東京で集団就職した若者たちの憩いの場をめざした施設だった。
2004年に民営化され、多目的な文化複合施設「中野サンプラザ」としてリニューアルした。地下2階、地上21階からなる建物は、音楽ホール、ホテル、結婚式場などあらゆる施設を備え、三角形の特徴的な建物などが地域のシンボルとして親しまれてきた。
開業から50年を迎え、老朽化などを理由に取り壊す。閉館に伴い、7月2日まで「さよなら中野サンプラザ音楽祭」を開く。最終日は歌手の山下達郎さんのライブで締めくくる。閉館中は壁面を利用したプロジェクションマッピングなどを展開し、今後の街づくりに向けた機運醸成を狙う。
解体後は現在の中野区役所の跡地と合わせて新施設「NAKANOサンプラザシティ(仮称)」として生まれ変わる。
ホテルや最大7000人収容の多目的ホールなどが入る低層棟とオフィスや住居、商業施設が入る高層棟からなる複合施設として野村不動産などが再開発する。最も高いところは約262メートルとなる予定で、28年度の完成をめざす。
中野区の酒井直人区長は「中野サンプラザは区民だけでなく多くの人の青春の思い出が詰まった建物だ。DNAとして受け継ぎ、街のシンボルとして新しく作っていきたい」と語る。
解体に伴い、中野駅周辺一帯も大規模に再開発する。区によると中野駅周辺では高低差のある地形によって街が東西・南北に分断されており、利便性・回遊性に課題があった。再開発によってにぎわいを生み出し、区内外から人を呼び込む。
「100年に1度」の再開発と言われ、中野駅周辺で11の計画が進行する。駅と区役所新庁舎を結ぶスカイデッキなどを整備するほか、サンプラザに隣接する現在の区役所本庁舎も24年5月に移転する。
新庁舎は環境に配慮した設計で、エネルギー消費量を国の基準から半分以上削減した建物として「ZEB Ready(ゼブレディー)」認証を取得した。
酒井氏は「(新しい街は)文化芸術の街をPRできるものがいい」と期待する。再開発によってさらなるにぎわいを生み出し、日常的に文化に触れられる場などをつくることでサブカルチャーの街としての発信力を高めたい考えだ。
サンプラザ、中野育てた50年 集団就職の若者へ、交流支えたアトリウム あさって閉館
2023年06月30日朝日新聞 夕刊
東京都中野区の複合施設「中野サンプラザ」が来月2日、閉館する。集団就職で上京した若者を支援する「全国勤労青少年会館」として、50年前に建設された。「親元を離れた子どもたちが楽しい気持ちに」。そんなつくり手の思いが長年、受け継がれてきた。(中井なつみ)
地上21階、高さ92メートル、そして特徴的な三角形のフォルム。当時は、周囲に高い建物がなく、地域のランドマークとなった。
「とにかく、若い人たちに楽しんでもらえるような施設にという一心だった」。設計に携わった日建設計(東京都千代田区)の元社員、三浦明彦さん(84)=横浜市=は、当時をこう振り返った。
三浦さんによると、設計チームの中心メンバーとなったのは3、4人ほど。「愛着がわくような施設に」「記憶に残る場にするためには」。事業者とともに連日、こうした思いをぶつけ合い、原型ができあがった。
設計開始から4年。完成したのはホテルにコンサートホール、プール、ボウリング場などが集まる複合施設だった。「一緒に集めると何か楽しいことが起こるかもしれないという期待があった」
それぞれ独立した建物をつくるのではなく、あえて正面の広場やアトリウムを通らなければたどりつかない一体型の構造にした。集団就職で親元を離れて暮らす子どもたちが「誰かと交われる時間があるように」という思いだったという。
コンサートホールにも、「若者のために」という視点が生かされている。「ポップミュージックに合う構造に」と、クラシック向けとは逆に吸音性の高い壁を設置し、音が反射しないように設計した。
2004年の民営化を経て、現在に至るまで数多くのアーティストやアイドルのライブが開催されてきた。中野が「ポップカルチャーの街」と言われるようになったのも、このホールの存在と無縁ではない。
完成から50年たっても、日建設計には、手書きの「完成予想図」が大切に保管されている。
断面を描いた図には、ボウリングやプールを楽しむ利用客、裏方として施設の維持にあたるスタッフの姿が詳細に描かれていた。約50年ぶりに設計図を手に取った三浦さんは、静かに言葉をつないだ。
「建築が時代をつくる。そう教わって設計に携わってきた。時代の要請に応える施設はつくれただろうとは思うが、それ以上に日本の社会の変化がめざましかった」
閉館後は、取り壊されることが決まっている。跡地には、ホテルや7千人収容のコンサートホールを備えた高さ約250メートルの高層ビルが建つ計画だ。
■単独初公演はビリーバンバン 「お客さんとの距離ちょうどよくて…」
開館5日目の1973年6月5日。初めて単独公演を開いたのは、菅原孝さん(78)と進さん(75)の兄弟デュオ「ビリーバンバン」だった。
「とても大きな建物で、斬新で目立つものができたなと思った」。進さんは初めて建物を見たときの印象を、こう振り返る。中央線の車窓からも、白いピラミッド形の建物の存在感が際立っていたという。
当時、ドラマの主題歌にもなった「さよならをするために」(72年発表)がヒットし、同年のNHK紅白歌合戦にも出場。全国のコンサートホールを飛び回っていたが、ほかのどこと比べても、伸びやかに声が届くように感じたという。
約2200人収容という規模は当時こそ「広い」と目を見張ったが、だんだんと心地良く感じられるようになった。「お客さんとの距離感がちょうどよくて、歌っていて楽しかったですね」
ビリーバンバンはその後、活動の節目を中野サンプラザで迎えてきた。76年の解散コンサートも、再結成後に開いた2009年のデビュー40周年コンサートも。中央線沿線で生まれ育っただけに、故郷のそばにあるコンサートホールとして思い入れが深かった。
「公演後に、中野の街で飲むのが楽しみだった。いろいろな時代の思い出が詰まっているので……。やっぱり寂しさはありますね」
◇中野サンプラザの開館当時の様子など、なつかしい写真を朝日新聞デジタルでご覧になれます。
◆キーワード
<中野サンプラザ> 1973年、旧労働省の要請で特殊法人の雇用促進事業団が建設。「全国勤労青少年会館」としてオープンし、愛称が「SUNPLAZA」に。2004年に「株式会社中野サンプラザ」として民営化された。老朽化などのため取り壊しが決まり、中野サンプラザを含むJR中野駅北口一帯が再開発される。跡地には、新しい複合施設が28年度にオープンする予定。
中野サンプラザ:「私の大切な場所」愛されたランドマーク 中野サンプラザ、レストランなど営業終
2023年7月1日 毎日新聞地方版/東京
三角形の外観が特徴で、中野区のランドマークとして50年間街を見守り、区民に愛されてきた「中野サンプラザ」が30日、レストランやホテル、式場などの営業を終えた。閉館となる7月2日を前に、閉館を惜しむ声が多く聞かれた。【小林遥】
◇2日に閉館イベント
中野サンプラザは、コンサートホールや結婚式場、プールなどを備えた複合施設で、1973年にJR中野駅北口駅前に開業した。山下達郎さんや松任谷由実さんなど有名アーティストの公演が行われ、「音楽の聖地」と呼ばれ、爆風スランプのボーカルは「サンプラザ中野くん」と施設にちなんだアーティスト名をつけたほどだ。しかし、中野駅周辺の再開発に伴い、老朽化した同館の解体が決定。5月から「さよなら中野サンプラザ音楽祭」と、ゆかりのあるアーティストの公演が連日行われている。
30日、同館周辺ではスマートフォンで撮影する人の姿が多く見られた。50年前、同館の電気工事に携わったという男性は、ベンチに座り同館を眺めていた。「閉館が決まってからよく見に来ている。名残惜しいけど、新しい施設も楽しみ」と笑顔で話した。杉並区の会社員、鶴巻攝(せつ)さん(50)はコンサート観賞で60回近く利用したといい、「ステージと観客席の距離が近くて、私の大切な場所。昔の姿で残してほしかった」と残念がった。1984年に同館で結婚式を挙げたという埼玉県所沢市の夫婦にとって同館は「人生のスタートの場所」。閉館を惜しみながらも、男性(65)は「次の施設も中野サンプラザに負けないような特徴的な建物になってほしい」と期待を口にした。
後継施設には、最大7000人が収容できるホールや、商業施設や住宅が入る高さ250メートルのシンボルタワーを整備する予定で、2028年度末までに完成する見込み。