2023年6月18日
「松山千春 ON THE RADIO」(1)

 

番組の後半、約15分を使って、6月14日に逝去した同級生で親友の阿部寿美雄さんについて、思い出話しを交えて偲び語っていた(以下全文=強調箇所)。

 

当然お会いしたことはなく、こうして松山千春を介してしか、ほんの少ししか、存じ上げませんでした。かと言ってまったく無縁の方とも感じていません。ご冥福をお祈り申し上げます。

 

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(40:47~)


実を言いますとね、福岡のコンサート終えて、札幌に戻り、「次は名古屋だな」っていう前の晩、6月14日ですけど。俺の高校時代の同級生、足寄高校、昭和48年度卒かな?にあたるんだけどね。親友だった阿部寿美雄、寿美雄が病院で息をひきとりました。ショック…でしたね。

 

(阿部寿美雄さん/「松山千春~さすらいの青春」から)

 

寿美雄は元気なヤツでしたからね。ま、どっちかと言うと黙々と頑張るっていうタイプでねぇ。みんな、分からないかも知れないけど、足寄ってすごい面積が広いんだ。よく町長からね、子どもの時からだぞ。「足寄は香川県と同じぐらいの面積を持った町ですから」…なぁ。「それを誇りに持て」と言われてね。俺は足寄の町の中で生まれ育ちましたけど、阿部寿美雄、寿美雄は(同じ足寄町内の)上螺湾か?もう、足寄の中心街から20何㎞も離れて。ちょっと行けば、オンネトーっていう湖と阿寒湖。

今だから話せるけどさ。寿美雄はさ、ガキの時によく阿寒湖行って、まだあそこが(阿寒摩周国立)公園指定される前のことだけどな。マリモが流れ着いて、それを食ったらしいよ。「寿美雄、お前よくそんなことできるな」「で、味はどんなだった?」「要はその、味の抜けた海苔みたいなもんだった」とかな。

 

あとはそれこそ猟銃を持ってね、なんせヤツのところは農家ですから、鹿の駆除とかな、そんな寿美雄でも熊は嫌だって言ったな。熊とたまたま出会うことがあるらしいよ、鹿撃ち行っててな。熊は一発で仕留めないとこっちがやられる。「だから熊は苦手なんだよなぁ~」とかな。

 

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(足寄高校/2022年9月30日筆者撮影)


高校に入って同じクラスで、まぁ面白かったのは「体育祭」、体育祭の時に俺は長距離の方がいいから駅に出て、で、我がクラスは駅伝、優勝したんだ。で、グラウンドでは400㍍リレー、一人が100㍍走ってな。で、イトウってのが同級生にいて、こいつは足が速いんだ。「じゃ、イトウ、お前、頭(第一走者)から行け。寿美雄、大丈夫かお前?お前、アンカー頼む!ラスト頼むぞ!」と言って400㍍リレーが始まりました。そしたらやっぱりイトウ、速かったですね。そして二走、三走、ラスト、寿美雄。頑張ったなぁ~。普段無口な寿美雄がね、最後の直線、バァ~っとトップで。我がクラス、400㍍リレーも勝ったんだよ。「やった~!寿美雄、よくやった~!」って言ったら、あいつゴールして真っすぐそのまま坂の下まで行って、木にもたれてゲロを吐いてた。ビックリした。「お前、そんなに頑張ってたのか」…ねぇ~、そりゃお前疲れたろう~。

そして寿美雄、ほんとに人のいいヤツだから、「お前さ、バスケット部のマネージャーじゃなくて、とりあえずお前、俺のマネージャーやってくれない?」「あ、いいよ」…で、寿美雄を待たせて、俺が山の中を走って来るんだよ。まぁ、ランニングに出るわけだ。で寿美雄がずうっと待ってるわけだよな。そんなことを半年ぐらいやってから、本当のバスケット部のマネージャーになって。

 

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(当時松山千春が住んでいた家:再現/2022年9月30日筆者撮影)

あいつだけだろう?壊れかけた古~い俺ん家に入ったことのあるヤツは。「寿美雄、うち電気全部消えちゃったんだよ。親父も電気関係弱くて。お前ちょっと来てくれないか?」「おお、いいぞ」…バッと家(うち)に入るなり、「千春、ここに住んでんのか?」「お前、住んでんのか?って、ここ俺ん家だよ」「今どきの開拓農家でもこんな家、ないぞ」って言うぐらいボロな家だったんだけど。ただブレーカーが落ちてたってだけで。そんなことも俺、分かんなかったから、寿美雄がブレーカー上げてくれて。

 

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(ラワンぶきと松山千春/2022年9月30日筆者撮影)

 

あとはラワンぶき、足寄の一応名産品ラワンぶきは、寿美雄の家の前の畑にしかならない(生育していない)んだよ、デッカイやつは。ちょうど、いわゆるミネラル豊富な水がそこを流れてるんじゃないか、っていう話しだったんだけどな。

だから、(6月)14日の日、病院に駆けつけて、「寿美雄、バカだね、お前は。もうちょっとみんなのために頑張ってくれればよかったのに。けど俺たち、50年以上の付き合いだったな。まぁ、あの世に行っても元気に頑張れよ。俺はもう少し歌、歌ってるから。スミ、ありがとう」

(51:37~)


そうやって考えたらさぁ、今ラジオをお聴きのみなさん、50年以上の付き合いがある友だち、なかなかいないと思うんですよね。俺も、寿美雄と、足寄で酪農やってる佐藤耕一、この二人ぐらいかなぁ。

 


(阿部寿美雄さん:左/松山千春「足寄より」から)

とくに寿美雄の場合は、高校を卒業してから音更(おとふけ)の自動車工場で働いてたし。その後、螺湾に戻って農家やってて。まぁ、子どもが後を継いでくれるって言うんで、悠々自適、とまではいかないけどな。札幌でもコンサート、毎回顔出してくれたし。俺も欲しいものがあったら「おっ、寿美雄、こんなの欲しいんだけど」…そういう仲だったからな。余計に、まぁ~、がっかりと言うか、もっと楽しいことができたのに、ってつくづく思うわなぁ。

あいつが下宿暮らししてて、俺がヤツの下宿に行ったら、その頃から、ま、高校生だけどな、タバコ吸って。「千春も吸うか?」「バカ、俺はバスケットだぞ」「ああ、そうだよな。悪りぃ、悪りぃ」…そういう寿美雄が、俺は誇りに思ってたし、大好きな親友でした。

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