2023年6月4日
「松山千春 ON THE RADIO」(2)

 

2023年6月4日放送の「松山千春 ON THE RADIO」で、元RKB毎日放送ディレクターだった野見山實さん(故人)を偲び、思い出を語っていた(以下のマット上)。

 

野見山さんは2018年5月31日、肺がんのため死去されている。享年八十五

 

また、その流れで昨年10月20日に逝去された株式会社弘商代表者の矢川弘文さんなど縁ある方々のお名前を出し、6月12日に公演を行う福岡の街と人について語った。

 

番組の最後に自身の「旅立ち」をかけ、野見山さんに捧げた。

 

※マットの下に、これまでの野見山實さんや矢川弘文さんとの出会いについての関連記事を記載し、リンクを挿入した。

 



何と言っても俺はSTVラジオのディレクターであった竹田健二さんに見出されて、この世界に出ることになったわけだな。もうそれから47年。

そして竹田さんがRKB毎日放送のラジオディレクターだった野見山(實:まこと)さんという方と非常に仲が良くて。「じゃぁ、デビュー前だけど松山千春君をRKBのラジオの公開番組、出てくれないか?」―野見山さんにそうやって声をかけられて、竹田さんが「千春、行っておいで!」と言って、福岡の玉屋デパート、今は福岡にはないんですけどね。玉屋デパートの屋上で、RKBラジオの公開録音放送って言うのか?そこで初めて野見山さんに出会って。



なんせ、野見さんも亡くなってしまって、5月31日(2018年)が命日だったんですよ。まぁ、福岡と言ったら野見さんのことを思い出しますねぇ。俺はずいぶんアマチュアの時から生意気な男でしたからねぇ。そんな俺を野見山さんは何度もかばってくれたわなぁ。

その玉屋デパートの屋上で、俺と、あと3つぐらいかな?グループが歌ったんだけど。俺はまだアマチュアだったんだ。けど一緒に出たグループにも声かけて、「ん、お前ら、頑張れよ。こういう所でしっかりとちゃんと歌ったら、プロになってレコード出せるようになるかもしれないからな。力抜いちゃだめだぞ!精一杯歌えよ!」とか言ってさ、言い放ったものの、他の連中はみんなプロとしてデビューしてました…。俺一人が(笑)アマチュアでした。

そうやって考えたらな、福岡には矢川ちゃん(株式会社弘商の元代表者)、亡くなった矢川ちゃん(以下写真)。



生きている上木ちゃん(松山千春の友人で、福岡で焼き肉店、博多ラーメン店などを経営)アサヒ緑健、古賀良太…もういろんな友だちもいるし。一時はほんとに“福岡に住もうかな?しかし俺は北海道のスーパースターだからなぁ(笑)”…気持ちが揺らいだことも何度もあるぐらい、福岡という街は住み易い、あと、ほんとに人がいい友だちがたくさんいましたからね。

そういう意味では、また格別なコンサートの日を迎えるわけでありますけどね。いろんなことが頭の中を巡りながら、歌うんじゃないかなぁと思いますけどね。

あれから47年。かぁ~、そりゃみんな年とるはずだ。俺だって67、今年の12月で68か!かぁ~って思うけどな。まぁ、そんなかたちでRKBの毎日放送の方々にもお世話になってますんで、宮崎、福岡、頑張って行ってきたいと思います。

 

 『弾き語りライブ』収録

 

ご存知のとおり、2021年1月25日にリリースされた松山千春ライブコレクションアルバム『弾き語りライブ』のラストには、野見山さんの逝去に関するトークと「旅立ち」が収録されている。以下がそのトークと「旅立ち」音源。

 

 

(トーク全文)

今夜(2018年5月31日)、熊本で(コンサートをしています)。RKB毎日放送の、私がデビューする前から、力を貸してくれてた野見山さん、っていうディレクターが今日亡くなりました。

私にとっては野見さんは…日曜日にラジオで「今週は九州ですから、野見さん、福岡、熊本、大分…」とラジオではしゃべってたんですけど、まさか今日亡くなるとは思ってもいませんでした。そういう意味では…5月31日…こうして九州にいられた、奇跡のような気がします。「旅立ち」(弾き語り)


 

 松山千春が語った野見山實さん

 

ここ数年の間に、松山千春が野見山實さんを偲んで語った内容が以下のリンク

 

 

 

 矢川弘文さんと松山千春

 

2022年10月23日放送の自身のラジオ番組で、半分以上の時間を使って、同年10月20日に亡くなられた矢川弘文さんとの思い出話しをしていた。以下のリンクはその話しの最後の部分だけ書き起こしたもの。