<2024.03.03>更新

 

長渕剛公式Instagram

(2024年3月2日更新)

 

母ちゃん!帰ってきたよ!

 

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<2023.0.5.05記事>

 

全国の長渕剛ファンの思いが形に 母との思い出つづった散文、指宿・宮ケ浜の石碑に刻む


 2023/05/03 20:51 南日本新聞

 

 歌手・長渕剛さんが母の出身地、鹿児島県指宿市に贈った散文の石碑が完成し3日、同市の宮ケ浜海岸で除幕式があった。県内外からファンら100人が集まり、長渕さんが幼い頃に泳いだ海を眺めながら、長渕さんの曲を歌って祝った。

 



 散文は、指宿市が2006(平成18)年1月に合併した際、長渕さんが新市誕生を祝って書き送ったもの。「母ちゃんの海 宮ケ浜」と題し、宮ケ浜の海で泳いだ母との思い出を振り返り、「大好きな 指宿は、私の原風景そのものだ。」などとつづる。

 合併当時、宮ケ浜地区の公民館長だった上野秀一さん(79)が、長渕さんの宮ケ浜への思いを形にしようと、全国から300万円の寄付を募った。石碑は縦1.2メートル、横1.7メートル。JR宮ケ浜駅近くの海岸沿いに県が整備した公園内に設置され、市が管理する。

 式典では、打越明司市長や小園成美県議らが長渕さんとの縁戚関係を紹介し、「長渕さんが愛した宮ケ浜の海岸をいつまでも残していこう」などとあいさつ。指宿商業高校の生徒が散文を朗読し、大分市から駆けつけたファンの山下博さん(60)らが長渕さんの「かあちゃんの歌」や「乾杯」などを熱唱した。

 建立に奔走した上野さんは「石碑を通じ、次世代の子どもたちに古里の良さと誇りを伝えていきたい」と話した。

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<長渕剛 散文詩 全文>


母ちゃんの海 宮ヶ浜

新しい指宿市が 生まれた。
私は、幼い頃、母ちゃんと宮ヶ浜の海で思いっきり泳いだ。
そして、小さな魚になって、はしゃいだ。
きれいな きれいな 海だった。
母は、幼い私を肩にのせ、スイスイ 泳いでみせたりジャンプしてみせたり…。
若き母の白い柔肌のぬくもりが、たまらなく優しかった。
ずうっとずうっと いつまでも そこに いたかった。
浜の西に沈む夕陽が 赤くゆれていた。
やがて指宿・宮ヶ浜の海は 黄金に変わった。
今でも時々 私は 鹿児島に帰る。
そして、浜の海岸に座る。母ちゃんが生まれた海は、いつも ないでいて、あの時のまんまだ。
大好きな 母ちゃん。大好きな 海。大好きな 宮ヶ浜。
大好きな 指宿は、私の原風景そのものだ。
熱く 白き噴煙たちこめる 指宿の湯の里と
私の血脈がドクドク流れ生き続ける指宿の兄弟たち、今、心から『おめでとう』を言いたい。
そして、『ありがとう 母よ!海よ!指宿よ!』

平成十八年一月一日
長渕 剛

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長渕剛―「かあちゃんの歌」

 

 

(指宿市 宮ヶ浜/鹿児島県観光サイト かごしまの旅 より/筆者挿入)

 

 

もしも もう一度 逢えるならば
父ちゃんに やっぱり 逢いたい
あの日のでっかい 背中にしがみつき
おもいっきり 甘えて みたい

幼い俺を 父ちゃんは バイクに乗せて
宮ケ浜に いつも連れてってくれた
浜の西に沈む 夕陽が赤く揺れていて
海よりも 限りなく 優しかった

(長渕剛「鶴になった父ちゃん」)