<2023.2.13再掲>

<2023.2.10記事>

 

NHK「プロフェッショナル」

仕事の流儀

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時代を歌う、私を歌う、未来を歌う

シンガーソングライター

さまださし

 

 

 初回放送日

2023年2月9日(木) 19:57~20:42(45分)

 

 番組案内

『風に立つライオン』『案山子』『北の国から』半世紀の間、誰もが一度は耳にしたことのある曲を生み出し続けてきたシンガーソングライター、さだまさし(70)。同世代のアーティストたちが一線を退く中で、その露出はむしろ増している。なぜ今、さだなのか。番組では曲作りからコンサートの裏側までを密着取材。歌うことを手放しかけた過去や、故郷への思い。46年ぶりに臨む特別な舞台への覚悟。そして生まれた、新たな曲。

 

 所 感

「いい言葉」が散りばめられた45分、いい番組だった。時代を歌い、社会を歌い、人々を歌い、未来を歌う。歌に賭けるその姿勢はフォークシンガーそのものと言っていいのかもしれない。番組の中から、私が感じた「いい言葉」をピックアップした。

 

(注)S=さだまさしN=ナレーションT=テロップ

 

T:日本一、舞台に立つ男

N:その男はこれまで4500以上の舞台に立ってきた

S:何かえたいのしれないもの。ライブは生き物

 

S:僕の唯一の取り柄は投げない、諦めない、諦めが悪い。

N:これまで4500以上のコンサートを行ってきたさだ。人生のおよそ6分の1の時間、12年あまりを会場で過ごして来たという。

 

S:(ステージスタッフに対して)彼らいなかったら何もできないから。僕ひとりでは何もできない。(スタッフのみんなと日ごろから)体温交換してないといざというときに、ひとつになりにくいから。

 

N:毎年新たな曲を10曲以上制作し、70歳の今なお年に1枚アルバムを発表する。これまで制作した曲は617を数え、その中には時代を代表するような名曲が数多くある。

 

T:(歌詞+ライブ映像):「思い出した 抱きしめるという会話を もう3年目になる花の季節に マスク越しの笑顔や届かない言葉で 自分の心までも追い詰めていた
でも愛はいつだって僕を支えてくれてた」(「抱擁」アルバム『孤悲』収録)

 

N:さだの(歌作りへの)流儀がある。

S:自分の中に釣り糸を垂れる…経験したり考えたりしたことが体の中にたまってるとすればね、その井戸の中に釣り糸を垂れるわけですよ。何が釣れるかなって。もう「こんなの釣れたよ」っていうのが時々あるからね。僕が思ってないところへたどり着けたらその歌はOKなんですね。想像外じゃないと。想像している通り作ったってつまんないですよ、歌。

 

N:見つけ出したメロディにテーマを合わせ歌詞を紡いでいく。

S:とりあえず書くだけ書いて「これはだめだな」っていうやつをどんどんどんどんボツにしていく。

N:作るほどに生み出す苦しみは増していく。

S:(歌作りに関して)昔やったことはやりたくないし、新しいものってそう無いし。その中で精いっぱい新しい何かを伝えていくっていうんですかね。難しい。

 

S:(コロナ禍でのコンサートをやり続けた)お客さん、半分しか入れられなかったけど、止めるな、絶対止めるなってみんなで我慢しよう。俺たち赤字だけど、それはそれで止めちゃだめって思いが強かった。(…)音楽は平和の象徴ですよ。自由に音楽ができる空間をどうやって守っていくかが僕らの仕事なんだけど。

 

 

N:時代を歌う。未来を歌う。

S:(ロシアのウクライナ侵攻を見て)今何が起きているかを知らん顔することはできないですよね。怒るところは怒らないといけないし。おかしいじゃないかっていういのは、おかしいじゃないかって言わないといけないし。社会の裏に札張ってきた。社会が間違っている思ったら間違ってると言わないといけない。

 

S:歌作りを許されたってことは僕はそこに責任があると思うのね、歌を作る。何かこれ聞いてくれた人が元気にならないかなとか、「そうだよね」「確かにね」と思ってくれるといいなとか思います。

 

S:何かあがいているんでしょうね。あがいて、あがいて。それだけ心の中のストックがだいぶ枯渇してきているのかな。歌にしてもカツカツの歌になる。僕はいっぱいっぱい背負ってないとダメなんですよ。どれだけ背負っているかが搾(しぼ)ってきたときのエッセンスになるので。

 

S:(「防人の詩」がヒットした時の社会からの”戦争を美化している”とのバッシングについて)あれは驚いたね。えっなんで?と思いますよね。”あんなやつの作る歌なんか聴きたくない!”って言われると本当に不安定だったね、精神的には。”あっ、僕はもう要らないんだ”っていう感覚だったのかもしれない。”このまま僕も落ちぶれて行くんだなぁ”って感覚ですかね。

 

S:(1987年「夏 長崎から」無料コンサートを開催した理由は)もう(歌手が)終わるかも知れないと思ったんでしょうね。だから終わる前に長崎に何かお礼奉公をしたい。

N:(その無料コンサートの)費用の3000万円は借金をした。偽善者、売名行為という声が聞こえてきた。でもさださんは続けた。5年、10年、15年…

S:20回か。ファイナル。(このコンサートを続けて)間違ってなかったなっていう安心感。自分にいつも不安だったものが、来てくれてるじゃない。家族連れで来てくれてるじゃない。(…)何かやんなきゃいけなかったのよ、きっと。むしろ僕を支えるようになった。

 

S:(グレープ復活コンサートに向けての新曲作り。自分が作った歌詞に対して)つまんない歌詞だな、これ。これだめだな。歌詞がつまんないんだ。だめだな、こういう歌詞は。

 

S:(その歌手が)どんな石(歌)を置いてきたかでその人が何をやろうとしたかは伝わってくるから。(後世の人が)その石、伝ってってくれれば何考えてたかわかるからね。

 

T:歌が、道になる。

 

N:自分の意志で選んだ人生を、自分らしく歩めばいい。それは過去の自分への、そして今を生きる人たちへのメッセージだった。

 

T:プロフェッショナルとは、

S:もっとできるよね、でも。それはその時の自分の限界であって、限界って毎日上げていかないとね。それを諦めたらだめだね、プロとしては…と自分に言い聞かせてます。

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