2022年9月30日、40数年来の悲願、念願だった松山千春のふるさと「足寄町」を初訪問した。
これまで何度も計画してはその度に何かが入り、頓挫してきた足寄訪問。ファンになって40数年、やっとここで実現できた。
3回に分けてその時の様子を紹介する第3回(最終回)
第1回は「千春の家」「映画『旅立ち』ロケセット―千春の家」「映画『旅立ち』で撮影に使われ、現在も営業している書店、印刷所」(記事の下にリンク)。
第2回は「道の駅あしょろ銀河ホール21 松山千春コーナー」とその前に設置してある「大空と大地の中で」歌碑(記事の下にリンク)。
第3回
「里見が丘公園」
・デビュー1年半後の1978年8月8日に足寄で開催した「千春in足寄」開催会場推定跡地
「足寄高校」「足寄小学校」(当時足寄西小学校)
「足寄町役場」
(付録)
「十勝エコロジーパーク・ピクニック広場」
・2012年8月4日デビュー35周年記念ライブ会場
里見が丘公園
デビュー1年半後の1978年8月8日、足寄で凱旋コンサート「千春in足寄」を開催した。その会場がここ里見が丘公園。
ご存知のとおり8月8日はその前年、恩師・竹田健二さんとともに松山千春がファーストコンサートを開催した日。
足寄に行く数日前、東京からあしょろ観光協会に電話した。その時電話に出られたのが、(2)に記載した女性職員の方。
「東京在住の虹野と申します。今週末、足寄に観光で行く予定です。つかぬことをお伺いしますが、1978年8月8日に松山千春さんが里見が丘公園でコンサートを開催しています。里見が丘公園に行けば、あの時の会場跡地を示す表示かなにかあるのでしょうか?」
自分でも厄介な質問をしていると思った。その女性職員の方は
「ええ、確かに千春さん、やっていますね。表示は設置されていませんが、当時を知る人に聞いてみますので、2日後にまたお電話いただけますか?しかし、造成し直され、当時の里見が丘公園とはまったく別の公園と言ってもいいほど変わっていますので、どこまで分かるか不安はありますが」
2日後に電話したら、その女性の方が出られて
「およその場所がなんとなく分かりました。当日、銀河ホールに来られるようでしたら図でご説明します。お待ちしています。お気を付けていらしてください」
当日その女性職員の方を訪ねて、お礼を伝えつつおよその場所をお聞きし、現地に向かったわけだが、説明を受ける際、その方が「これが当時のコンサートの写真です」と言って見せてくださったのが、ブログ記事とともに印刷されていた下の写真。
あれ???どこかで見たことあるが…と思ったら、私が書いた記事だった(以下リンク)。
「これ書いたの私です」とは言えず、その言葉をぐっと飲み込んだ。
「公園に入るとすぐに小高い丘が見えます。そこに大きな滑り台があるのですが、当時その辺りにステージを組んで、今ある野球のグラウンド側にお客さんが入ったようです。完全に造成され直していますので、だいたいその辺り、としか言えませんが」
自伝「足寄より」に掲載されている写真(1978年8月8日「千春in足寄」)
2022年9月30日の里見が丘公園
入口を入るとすぐに正面に見える小高い丘の上に滑り台がある。
その辺りに立つと↓の景色が広がる。撮影するために立っているこの辺りに当時ステージを組み、グラウンド側がもっと斜面になっていて、そこに観客が座った、というイメージ。
※広角で撮影したため距離感が違うが。
あれから44年も経っているので様変わりしていて当然だが、それにも関わらず、厄介な質問をした一人の観光客のためにわざわざ調べていただいて心から感謝した。
去年、里見が丘公園の園路にあるメロディ橋の楽曲が変更され、松山千春の楽曲が採用されたというニュースを見た。それを確認するのをすっかり忘れていた。コンサート会場推定跡地に意識を集中させ過ぎて、飛んでいた。
足寄小学校(松山千春が通っていた当時は足寄西小学校)
時代状況を反映し、今の学校は部外者がそう簡単に敷地内には入れない。いくら日ごろ”紳士に見える”と評判の高い私でもサングラスをかけたまま構内に入り撮影していたら警察を呼ばれるかも知れないと思い、柵の外、遠目から撮影した。
(足寄高校)
(足寄小学校)
足寄町役場
「♪役場の横に 灯りし我家」…現在は”千春の家”も町役場も、「我家」の歌詞に出て来る位置関係にはないが、せっかく行ったので、現在の”役場”。
あしょろ庵
松山千春の先輩が経営するレストラン。
事前に電話で確認した。
「9月30日の昼頃そちらに行く予定ですが、混み具合はいかがでしょうか?」
「ああ~、この日は団体さんでいっぱいですよ。ちょっと無理かもしれませんが、何人で来られますか?」
「一人です。せっかく東京から行くのでそちらに寄りたいのですが」
「ああ、お一人だったら大丈夫ですよ。ランチタイムちょっと前にお越しください」
(あしょろ庵自慢の「豚丼」)
(レジ後ろに掲げられている松山千春のサイン)
約3時間、足寄に滞在した。すべてのスポット間の距離が離れていないので、ゆっくりとかつ最終的には予想以上に早く回れた。
40数年来の悲願、念願だった松山千春のふるさと「足寄」訪問。ここしかないタイミングだった。来てよかった。行ってよかった。
松山千春―「生きがい」(1979年)
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(付録)
足寄から帯広に戻る途中、2012年8月4日に松山千春がデビュー35周年記念サマーライブを開催した「十勝エコロジーパーク・ピクニック広場」に立ち寄った。
今でも忘れない。このライブに参加して、翌日足寄に行こうと計画していたが、8月4日、5日と札幌に出張が入ってしまい、ライブはもとより足寄にも行けなくなった。同じ北海道、札幌で仕事しながら、セットリストが気になって仕方なかった。
道東自動車道「池田IC」で下りて、同パークまでの道は信号もあまりなく、広い大地の中の一本道が続いた。松山千春の歌に出て来る北海道らしい風景の中を走った。
同パーク・ピクニック広場に着いた。あの時は1万人が入ったが、ライブ映像で見るよりはるかに狭いな、とまず思った。
これは真駒内屋外競技場も大倉山ジャンプ競技場もそうで、よくここに5万人、2万人も入ったなと、会場だけ見るとそう思う。
ただそこに一人二人と人間が入ってみるとその広さが実感として分かるもの。
きっとあの辺りにステージを組んだのだろう、とおよそは分かるが、なにぶん参加できなかったこともあり、確定的なことは書けない。
松山千春―「決意」(2010年)