長年のファンの皆さまには改めてのことになるが、松山千春は1977年1月にデビューして、その年の8月8日にファース・トコンサートを開催した。そのちょうど1年後の8月8日に故郷・足寄で「千春in足寄」1万人コンサートを開催している。

 

そのコンサート実現に至るまで、またコンサート当日のトークを自伝「足寄より」に書き残しているので、以下その箇所を抜粋した。またあの日のセットリストと写真も掲載した。

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(181~182㌻)

 

 足寄でコンサートを開こう。その考えは俺のなかに芽ばえたと思ったら、どうしようもない大きなものにふくらんでいったんだ。

 いろいろと無理があった。なんといっても準備期間が足りない。会場もない。ファンが大勢やってきたら、宿泊施設もない。ないないずくめだ。第一、そんな無理をしてまで足寄でコンサートをやる意味がない。(中略)

 俺自身が無謀なことはよく知っていた。それを承知で、コンサートを足寄でという計画をおしとどめることはできなかった。

 純粋に俺とファンのためのコンサートを、ファースト・コンサートから一年めにやる、それには場所は足寄しかない、それはもう確信といってよかった。

「ファンに足寄のありのままを見てもらうんだ。それで足寄についての決別をつける。だから、どうしてもやりたいんだ」

 俺は強引にスタッフを説得した。やろう、ということになった。

 問題は最初から山積していた。足寄の公民館ではとてもファンを収容しきれない。野外でやろう。足寄が一望に見渡せる里見ヶ丘公園(同書のまま)がいい。だが、あそこにはステージは立てられない、と建設会社に断られてしまった。

「それじゃ、俺たちが建てよう」

照明のサンスタッフの連中が足寄に一週間通って、ステージを建ててしまった。

 交通機関をどうするか、やってくるファンの案内と整理は、宿泊施設は――スタッフは難問をひとつひとつつぶしていった。

 やれるもんだよ。いいだしっぺの俺さえ、ほんとうにできるんだろうか、と半信半疑の部分があった。それを実現してしまったんだ。(後略)

 

(182~184㌻)

 

 ファンは続々とやってきた。みんな、足寄に夢を抱いていたんだと思う。どんなに素晴らしいところかってね。俺はコンサートで足寄のことを語り続けてきたからなあ。

 俺は語りかけた。

「ここが、俺がいつも話している足寄だ。どうだ?なんにもない、つまんないところだろう。だれだってそう思うはずだ。俺だってそう思うもの。ほんとうになんいもない。つまんない、ただの田舎。それが足寄だ。(中略)

 自分のふるさとを大切にしろよ。自分の住んでいるところを可愛がれよ。

 俺がこんな不便なところでわざわざコンサートを開いたのは、それが、そのひとことがいいたかったからなんだ。それがわかってもらいたかったからなんだ」(中略)

 自分の住んでいるところを愛する、自分のふるさとを大事にするってことは、自分自身を大切にするっていうことにつながっていくと思うんだよね。(中略)

 やっっぱり足寄を大事にしていきたい。なんたって、俺という人間はここで生まれて、ここで育って、ここから出てきたんだから。 

 八月八日のコンサート”千春イン足寄”(同書のまま)は、そういう意味で大成功だったと思う。

 あのコンサートはけっして”故郷に錦を飾る”なんてもんじゃなかった。ファンと俺とが足寄で会って、ふるさっとてのはどういうものかを、考えてみたかったんだ。

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(セットリスト)1978年8月8日 (火)開催/@足寄町里見ヶ丘公園

1.君はそばに
2.銀の雨
3.時のいたずら
4.My自転車
5.青春
6.父さん
7.この道より道廻り道
8.これ以上
9.ピエロ
10.オホーツクの海
11.生きがい
12.歩き続ける時
13.青春II
14.走れ夜汽車
15.君が好きさ
16.足寄より
17.季節の中で
18.大空と大地の中で
19.旅立ち

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当日の写真

自伝「足寄より」、写真集「激流」から