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<2022‐9‐17記事>

 

2022年1月25日にSTVラジオで放送されたSTVラジオ開局60周年特別番組『足寄のスーパースター松山千春~45年の時代(とき)をこえて~』が、2022年日本民間放送連盟賞、【番組部門】ラジオエンターテインメントで「優秀賞」を受賞した。

 

 

この発表に接して、いつもラジオを大切に、ラジオでも自身のメッセージを送り続けてきた松山千春の2020年9月の発言を思い出したので、以下にその時の記事を再掲した。

 

記事の最後に「1回でいいので、ラジオで1時間使って生歌を届けて欲しい」と書いていた。コロナの影響でコンサート活動がまったくできなくなったが、松山千春には毎週必ずラジオがある、と思い直し、ラジオで1時間まるまる使って生で弾き語りをやって欲しいと、私の勝手な願いだった。

その願いが叶い、2020年10月4日放送での「おいで僕のそばに」から始まり、翌2021年4月18日の「網走番外地」まで、全29曲、毎週弾き語りで生歌を届けてくれた。

その弾き語り曲のリストが、本記事冒頭のリブログ記事。

 

毎週毎週聴きながら、自分もギターを抱えて、松山千春の弾き語りに合わせて弾いた。本当に嬉しかった。

 

松山千春—「写真」(本人弾き語り+ストリングス)
―1999.8 東京・恵比寿ガーデンホールー

 

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<2020-09-29記事>

 

 

一昨日(2020年9月27日)放送の「松山千春 ON THE  RADIO」

松山千春がデビュー前からやっていたラジオ。育ての親の竹田健二さんが残した最後の仕事がラジオ、オールナイト・ニッポンのパーソナリティ。

デビュー前から、デビュー以来、北海道でラジオをずっと大切にやってきたこと、これからも大切にしていきたいと語っていた。

われわれの世界、いわゆる歌の世界は、ほんとにコンサートが出来ない状態ですしね。(バラエティ番組などに出演している歌手もいるが)私は、うちの事務所がいくら悲鳴を上げてもそういう番組は絶対お断りしながら、ラジオだけだな。ずっと続けてきているラジオだけでやって行こうとは思っていますけどね。

STVって意外と俺をテレビで使おうとしないよな。やっぱりあれかな、亡くなった竹田さんが「千春はフォークシンガーだから、テレビには出ないで、歌に専念してもらいたい」っていう気持ちがあったのかなぁ。もし俺が東京にいたら、いろんな番組に出てコメンテーターかなんかやってたんじゃないかなぁって思うよな(笑)。そうやって考えると、北海道にいてよかったなとつくづく思うわなぁ。

竹田健二さんが急逝される前日(1977年8月26日)、竹田さんは電話で松山千春に伝えた。

「”オールナイト・ニッポン”の話がきてるんだ。ラジオはおまえの個性が表現できる媒体だ。やってみてもいいんじゃないかな。ま、明日ゆっくり話そう」(「足寄より」168㌻)

その後、その翌日竹田さんは急逝されるので、この会話が竹田さんと松山千春の最後の会話だったかもしれない。

当時は確かニッポン放送で日曜日の朝、番組を持っていた記憶があるが、ファンになって、中学時代からその松山千春のラジオを楽しみにしてきた。

こういう状況になればなおさら、毎週必ず声を届けることができるのは大きな武器だと思う。

春と夏のコンサートが出来なくなった今こそ、1回でいいので、そのラジオで1時間使って生歌を届けて欲しいと願う。
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