三浦知良さんが日本経済新聞で連載し、三浦知良さんのオフィシャルサイトともリンクしているコラム「サッカー人として」。8月26日には『残留の秘訣は説明がつかない』と題して掲載されていた(以下全文)。
次の7つの言葉は、下の記事全文の中から抜粋した三浦知良さんの言葉。当然ながら、三浦さんはサッカーの世界を前提に書いているわけだが、これらは私のたちの日々の生活や人生にも当てはまる。
「うまくいっていない組織を正しい軌道に戻すのは、並大抵のことじゃない」
「『これをすれば抜け出せる』といった方程式などは見当たらなくてね」
「フィロソフィーを堅持する理想を長期にわたって貫けるクラブが世界を見渡してもどれほどあることか」
「往々にして成功の理由は後付けされるだけじゃないだろうか」
「理屈でなく『運』とでも呼びたくなるもので結果は左右されもする。運の一言で片付けるべきでないとしたら、自分たちだけでは動かしがたい力とも僕らは戦う」
「苦境で選手や監督が立ち向かうのは、X+Y=Zみたいにきれいに説明のつくものじゃない。サッカーの現実は僕らにはそのくらい恐ろしい」
「だから、謙虚であった方がいいんだ」
三浦さんはそれをここでは「運」と言っているが、生きる中で、自分の力ではどうしようもないものがいくつもある。1+1=2という単純な計算では導き出せないものばかりでもある。つまり説明がつかないものが多い。
三浦さんがいう「運」は「時」と言い換えられるかもしれない。焦る気持ちも、腰を据えてものごとに取り組もうとする気持ちも「時」の捉え方で変わり、自分のスタンスも行動も違ってくる。「時」は無情であり無常、かつ優しくもあり大きな力を持つ。
その「時」に自分自身が働きかける方法があるとしたら、三浦さんはそれを「謙虚であることと」と言ったが、個人的にはもうひとつ、それと共鳴する部分もある「今を生きること」、これを加えるかな。過去でも未来でもない、今をいきいきと魂込めて生きること。
連載「サッカー人として」
残留の秘訣は説明がつかない(三浦知良)
2022年8月26日 日本経済新聞
うまくいっていない組織を正しい軌道に戻すのは、並大抵のことじゃない。残り試合が1桁台に減ってくれば、J1に残留できるか否かというクラブは監督を代えてでも何とか立て直そうとする。毎年のように。
経験からいえば、下に沈んでいるチームで大量失点の負けをすると、監督のどんなに良い言葉も選手の心に届きにくくなっていく。手を打たねば変わらない。ただし何度も残留争いの修羅場を味わった僕らに言わせれば、「これをすれば抜け出せる」といった方程式などは見当たらなくてね。
再建の見込みの薄そうなチームを引き受けたがる人などいるのかという状況でも、それこそ残り5試合くらいの瀬戸際で、請われて監督や選手として中東やアジアに飛んでいく人は海外なら大勢いる。うまくいけばプラス。ダメならダメで戻ってくればいい。覚悟と度胸を片手にスーツケース一つでやってくる。荷ほどきしないままだと思うね。
契約を終えて自由の身になった元監督と話すと、監督でいたころとこんなに人が変わるのかと驚いてしまう。それほど重圧と責任を負う仕事だろうし、逆にそこには「監督はやめられない」とベンゲル氏らに言わせる何かもあるんだろう。
近年は選手がJリーグからすぐに出て行く。クラブもそれを手伝うというか、出やすい契約にしている。まだまだJリーグの実績だけでは10億、20億円で値踏みはされず、ネームバリューで南米や欧米の出身者に劣る。日本のクラブが「10億円でないと売らない」と言ったところで「それなら要らない」となるだけで、駆け引きが生まれない。
ビジョンを固持する前提となる戦力がどんどん抜ければ、現場は大変だよ。去って行った逸材が全員残っていたら今ごろすごいチームなのに、というのは多くのクラブにある切なさ。一貫した積み上げがないから低迷するのだと難じる声がある。そりゃあそうだけど、フィロソフィーを堅持する理想を長期にわたって貫けるクラブが世界を見渡してもどれほどあることか。
先を見据えて先発を入れ替えて敗れたチームが、入れ替えたから負けたと論じられる。おそらく、もし勝って次戦にも勝てば、同じ行動が「総力で戦った素晴らしいマネジメント」と評されるのだろう。往々にして成功の理由は後付けされるだけじゃないだろうか。
理屈でなく「運」とでも呼びたくなるもので結果は左右されもする。運の一言で片付けるべきでないとしたら、自分たちだけでは動かしがたい力とも僕らは戦う。苦境で選手や監督が立ち向かうのは、X+Y=Zみたいにきれいに説明のつくものじゃない。サッカーの現実は僕らにはそのくらい恐ろしい。だから、謙虚であった方がいいんだ。
(元日本代表、JFL鈴鹿)