週末be・b02(朝日新聞)連載の(今こそ!聴きたい)

8月6日は井上陽水

 

たくさんの読者の井上陽水評、井上陽水楽曲評が掲載されていて面白い。それだけの幅をもって多くの楽曲を世に送り出した、井上陽水という人間の幅広さか。

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今こそ!きたい

井上陽水 よくワカンナイ深いうた
2022年08月06日 朝刊 週末be・b02 




 八月は夢花火、私の心は夏模様。お元気ですか、夏と言えば井上陽水です。土曜の朝来る新聞の片隅に、そう書こうとしています。皆さんにとって、見飽きた文字で。恋のうたが、誘いながら、流れてきます。夢の中へ、行ってみたいと思いませんか。

 1999年8月の朝日新聞にシンガー・ソングライター、井上陽水のインタビューがある。
 《30年間の音楽活動を集大成した初のベスト版CD「ゴールデンベスト」が好調だ。発売後1カ月足らずで80万枚を突破》
 近況に続いて、次のような経歴も紹介されている。
 《福岡県田川市生まれ。歯科医だった父親の後を継ぐため大学を受験するが、三度失敗》
 《1970年代に「傘がない」「夢の中へ」などを発表。LP「氷の世界」は異例の150万枚の売り上げを記録。75年に吉田拓郎氏らとフォーライフレコードを設立。安全地帯や奥田民生氏らと組んで、時代の先端を走り続けてきた》
 記事の中で陽水は、当時(90年代末)に流行していた音楽について「ぐっと胸を打つ歌詞とか、やられたなという曲はあまりないですね」といい、「だれが聞いてもよくわかり、ストーリー性があるようなうたを作りたいですね。でも今はそれが一番難しい」とも語っている。
 デビュー50周年の2019年、日本文学研究者のロバート キャンベルさんが刊行した『井上陽水英訳詞集』の中で、陽水はキャンベルさんと対話し、創作のプロセスにも言及している。意味はできるだけ考えようとしている、何を歌っているか全然わからないとよく言われるから、などと語っている。
 拓郎と並ぶ「フォークの星」と称された70年代の陽水。今回の投票では、この時期の曲が上位を占めた。それらに続くのが80年代以降の楽曲だ。ポップスやロックへ音楽性の幅をさらに広げた時期で、安全地帯に歌詞を提供した「ワインレッドの心」、中森明菜が歌った「飾りじゃないのよ 涙は」、陽水自身が歌い、田村正和主演のドラマ「ニューヨーク恋物語」主題歌にもなった「リバーサイド ホテル」などが人気を集めた。
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 陽水自身の言葉にもある通り、今回のアンケートでまず目立ったのは、陽水は「歌詞がよくわからない」という声だ。
 静岡県の40歳の男性は、こう称賛する。「子どもの頃、陽水は『よく分からない歌をうたう歌手』だった。たとえば『少年時代』の中の『夏が過ぎ 風あざみ』。よく分からないのに、澄んだ歌声と謎の説得力で押し切られてしまう。陽水の手のひらの上で感情をゆらゆら揺さぶられているようで心地良い。天才、なのだと思う」
 「『氷の世界』を高校時代、擦り切れるほど聴いた。『窓の外ではリンゴ売り』という、わけの分からない歌詞が衝撃的でかっこいいロックだ」(奈良、61歳女性)、「『アジアの純真』の中の『白のパンダ』ってシロクマ? それを『どれでも全部並べて』って? 意味不明だけど頭に残り、考え続けてしまう」(千葉、60歳男性)。
 「陽水の詞は裏読みの楽しさにあふれている」(千葉、63歳男性)と、謎を謎のまま楽しむ人もいれば、法則や哲学のようなものを見る人もいる。
 「探し物をするとき、『夢の中へ』を口ずさんでしまう。探すのをやめたとき見つかるんですよね、本当に」(東京、59歳女性)、「『夢の中へ』は哲学っぽい、チルチルミチルの青い鳥っぽいような歌詞」(三重、38歳女性)、「人生の捜し物、この年になってもまだ見つかりません」(大阪、82歳男性)。
 絵のように、聴き手の記憶や心象風景と結びつく例もある。
 「『少年時代』の陽水のしみじみとした歌声に、地方都市で暮らしていたころの、少年野球、海水浴、花火大会、鬼ごっこなどが、走馬灯のようによみがえる」(東京、64歳男性)、「空想の世界で何度、リバーサイドホテルに行ったことか」(茨城、74歳男性)。

 



 ■今も古びないすごさ
 陽水は「古びない」。これも今回の調査で目立った声だ。
 「傘がない」は、強い共感を語る人の多い曲だ。「浅間山荘事件が起き、学生運動が終焉(しゅうえん)を迎えた72年、社会に横たわる問題に苦悩しながらも、日常の些細(ささい)な悩みに埋没する若者の虚無感を、見事に映し出した。閉塞(へいそく)感に満ちた今こそ、聴かれるべきだ」(東京、67歳男性)
 「傘がない」といえば86年、英文学者の小田島雄志さんが、朝日新聞のコラムで「傘がない」に触れ、「君のこと以外は考えられなくなる」という歌詞を考察している。「だれかに訴えるように、そしてそれ以上に自分に言い聞かせるように、『それは いいことだろう』と歌う陽水にぼくは、うん、それはいいことだ、と答えていた」。更に、陽水が「愛は君」という楽曲で歌っている愛は「恥ずかしくなく聞かれる」とし、「このリズムならシェークスピアをいまの日本語に訳せる、と思いついた」とも書いている。
 英文学者が悩んだように、シンガー・ソングライターもまた、西洋から来た音楽にのせて日本語の詞で何をどう歌い、伝えるのか、悩んでいたことだろう。
 たとえば「飾りじゃないのよ 涙は」は、「速い車にのっけられても 急にスピンかけられても恐(こわ)くなかった」女性が語り手の歌だ。「若い女の怒りをわかっている!と感じた。ただヘラヘラ笑っていることを強要されるのが、嫌で爆発しそうだったので」(東京、62歳女性)
 「男が泣くな」「女の涙は美しい」といった価値観が崩れゆく過程を、陽水は詩人として観察していたのかも知れない。
 故・筑紫哲也さんがキャスターだった時期に報道番組「ニュース23」で流れていた「最後のニュース」も支持者が多い。「時代を先取りした、再評価されるべき曲。陽水はメロウなラブソングを歌いながらも、世の中への批判的な視点を持ち続けている」(埼玉、65歳男性)
 「『心もよう』は時代を映す鏡のような作品。たぶん100年後も歌われている」(東京、74歳男性)という声もあった。郷里の思い人に手紙を書く主人公。「あなたの笑い顔を不思議な事に今日は覚えていました 19才(じゅうく)になったお祝いに作った唄も忘れたのに」という歌詞にギクリとする。今はスマホを片手に絶え間なく相手と会話できる時代。それでも、好きな人の笑顔や誕生日の記憶が、ふと思い出せなくなることって、あるのではないか。(寺下真理加)

 <調査の方法> 6月末~7月初旬に実施。1979人が複数回答。(11)夏の終(おわ)りのハーモニー(12)東へ西へ(13)アジアの純真(14)人生が二度あれば(15)ジェラシー(16)ありがとう(17)帰れない二人(18)夏まつり(19)闇夜の国から

 ◆みなさんへのアンケートをもとにした企画です。アンケートはhttp://t.asahi.com/berankで実施中。テーマは「今こそ!見たい オリンピック」です。

 

井上陽水 - 少年時代(ライブ) NHKホール 2014/5/22

 

井上陽水 - 氷の世界(ライブ) NHKホール 2014/5/22