松山千春「Big Summer Scene’82 大いなる愛よ夢よ」

 

1982年7月24日に北海道は札幌、真駒内の屋外競技場で開催された。

 

 

札幌市の南部にある真駒内屋外競技場に集まったオーディエンス51,000人。

 

同年(1982年)11月にはこのイベントのLIVEアルバム(「STAGE」)がリリースされ、その売れ行きも好調で、12月時点で日本で一番LPレコードを売り上げた歌手として、それまでトップだった井上陽水を抜いて、松山千春が1位になった。

 

そのことを当時恒例の東京厚生年金会館3Days公演で、応援してくれるファンに感謝しながら嬉しそうに語った。

 

これらの現象だけ見ても、1982年は松山千春の頂点、全盛期だった。

 

過去の偉業にすがりつくつもりは毛頭ない。

 

松山千春が大好きで、その一曲一曲に、一挙手一投足に注目し感動していた中学、高校の頃。このイベントは~あえて加えれば1980年「風をうけて」ツアーも~、あの当時の私自身だけでなく家族や友だち、ふるさとの山々…それらを全部思い出させる象徴的な出来事だった。

 

それらを思い出す時、今でもこの上ない感謝の気持ちが込み上げてくる。

 

一昨日がそのビッグイベントからちょうど40年の日。

 

この「記念日」に関する記事を2本書いた。

 

 

 

三人の方から有り難いコメントやメッセージを頂戴し、同じ松山千春ファンとして思いを共有できたことが嬉しかった。

 

(5万人ライブにて)

その日の夜は定例の松山千春のラジオ番組があったので、長くはなくても必ず触れるだろうと思っていた。

あのイベントに参加されたお二人のリスナーからのメールもいい内容だったので、松山千春の言葉を引き出すきかっけのひとつにはなったのだろう。決して長いとはいえなかったが、それでも予想以上に長く語ったことは嬉しかった。

 

長年のファンのみなさんにとって、私にとっても、「7月24日」は完全に定着している記念日のひとつだけど、「1月25日松山千春デビュー記念日」「8月8日松山千春ファーストコンサート開催記念日」「8月27日竹田健二さん逝去の日」「12月16日松山千春誕生日」などとはちょっと違った風を感じる、深く記憶に残る日である。

 

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松山千春がラジオで触れると予想し、その後記事を書くつもりで、そこに載せる写真を準備するため、一昨日の夕方LPレコード「STAGE」と「大いなる愛よ夢よ」を引っ張り出し、ブックレットなどを広げて撮影していた。

 

(5万人ライブリハーサルの模様)

 

そこに妻が入ってきた。

 

妻:あらら?なんかすごいことになってるわね~。

私:今日は松山千春5万人ライブ開催からちょうど40年の日なんだ。1982年の7月24日。あの日、全国から51,000人が北海道の真駒内に集まったのよ。オフコースや佐野元春の「SOMEDAY」のようなメモリアルなリリース、松山千春はないけどなぁ。

妻:へぇ~。すごいね。(意外と素直に聞いてるな)

私:あの頃は松山千春の全盛期だったからね。

妻:そういえば、オフコースも1982年に武道館10日間LIVEをやったわよ。

私:そうだ、そうだ、オフコースのファンだったよな。LPレコードがたくさんあるもんな。あの時のオフコースの人気もすごかったなぁ。あの夏、中学校の教室で「北海道の札幌に1回で5万人集めた松山千春と、東京の日本武道館に10回で10万人集めたオフコースとではどっちがすごいか??」っていう議論してたよな。

妻:???そう??私の学校ではそんなこと全然なかった。オフコース一色だったわよ。きっとあなたのクラスで松山千春、松山千春って騒いでたのはあなただけだったんじゃないの?

私:…。ん??そんなことはなかったぞ。…なかったと思う。だいたい(たぶん)五分五分だったぞ。それに、当時の「Guts」や「ギターブック」もそんなことを書いていたし。まぁ、いいや。今夜のラジオで松山千春がこのことに触れるだろうから、その記事で使う写真を撮影してるのよ。

妻:まぁ、頑張って。しっかり載せた方がいいわよ。(…言われなくても)

 

 

松山千春-「季節の中で」

(1982年真駒内5万人LIVE ENCORE Ver./)