さて、昨日(7月23日)は今年4回目の土曜丑の日


とくに鰻に執着はない。「丑」と「牛」をかけたわけではないが、行きがかり上、夕食は大人気焼肉店の持ち帰り焼肉弁当(カルビ&ハラミ)、牛の肉。かなり美味かった。

 

 

今日もこの後、いろいろ予定が入っている。かなり暑くなりそう。

 

 

 

さてさて、今日、7月24日は「松山千春BigSummerScene’82 大いなる愛よ夢よ」が開催された日。あれからちょうど40年。

 

北海道の札幌・真駒内に51,000人を集めた、松山千春の全盛期を象徴するビッグイベント。

松山千春がデビューしてより5年半後に行われている。

 

松山千春―「大いなる愛よ夢よ」(1982年真駒内LIVE.)

 

オフコースの1982年日本武道館10日間ライブのように、佐野元春の1982年記念碑的アルバム『SOMEDAY』のように、40年の節目に松山千春真駒内5万人ライブに関する何か企画をやって欲しかったが。

 

1982年の秋から冬にかけて、この5万人ライブのフィルムコンサートが開催され、12月25日に山梨県民文化ホール(小ホール)に参加した。当時中学3年。

 

40年の日に、例えばこの時の映像が残っていればリマスタリングをかけてあのライブそのままでリリースして欲しかった。まぁ、このあたりを松山千春に求めるのはもともと無理なのは分かってはいるけど。

 

 

あのイベントの3年後、松山千春らが設立したNEWSレコードが倒産し、松山千春はアルファレコードに移籍。1986年にはデビュー10周年を迎え、その記念ライブは今はもうない読売ランドイーストに参加した。

 

俗っぽく言えば、この頃から松山千春は売れなくなった。私の認識では急速に売れなくなった。松山千春が作り出す楽曲は聴く人の共感を得られなくなり、ファンが離れ、音楽業界の流れとも交差し、右肩下がりに入っていった。

 

あの当時の松山千春、私の中ではいつまでも年齢的な青春時代の象徴であり、憧れ。

 

今もって松山千春を応援し続けるファンはお世辞にも多いとは言えないが、松山千春への熱い思いはあの時のまま…松山千春はそういう方々に支えられているのだと思う。

 

好きで応援し続けて45年。恩を売るつもりはこれっぽっちもないが、ここまで来るとそういう方々への恩返しのために、そういう方々に喜んでいただくためにメモリアル的な企画で何かを届けてもいいじゃないかな、と思う。