1月23日放送の「松山千春 ON THE RADIO」

1月25日が自身のまる45年の「デビュー記念日」(1977年1月25日デビュー)であることから、番組のほぼ1時間を使って、自身のルーツであるフォークソングの歴史を紹介した。さらにそのフォークソングの影響を受けて歌い始め、STVラジオのディレクターだった恩師・竹田健二さんとの出会い、デビュー、その7か月後に竹田さんが急逝されるまでを語った。

それらの語り全編を3回に分けて掲載する(第3回:最終回)。

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今回は自分がどんなふうにフォークシンガーになって来たのか、そういうところを聴いていただいていますが。

 

まぁフォーク音楽祭に、コンテストに出て、自分落ちました。まぁ、昭和50年だなぁ。ところがその時帰りがけに竹田さんが、「松山君、よかったら一緒にラジオの番組でもやりたいね」…足寄へ帰る俺に一言、声をかけてくれて、一年経って(昭和51年)連絡が来ました。

 

「松山君、STVラジオで<サンデー・ジャンボスペシャル>という番組があるんだ。その中で“千春のひとりうた”っていうコーナーを設けるんで、毎週2曲新曲を作ってきてくれないか?」

 

そう言われてですねぇ、私頑張ってですね、毎週足寄から2曲作って札幌に出て来て、日曜日の放送終わったら、足寄へ戻って。そんな日々が続いてました。その年の10月に、レコーディング、竹田さんがSTVの社長や副社長や常務やいろんな人たちに、まぁ、口説き落として、と言うか、最後は

「退職金を前借りさせてください」

「竹田、お前そこまで言うのか?じゃあ、松山やれるんだな?」

「はい、きっと彼はやると思います」

と言って(昭和52年)1月25日に「旅立ち」という曲でデビューすることになります。6月25日に『君のために作った歌』というアルバムを出しました。

 

8月8日、元の北海道厚生年金会館、初めてのコンサートをやらせていただきました。嬉しかったです。袖で聴いていてくれた竹田さんに幕が降りた瞬間、

「竹田さん、俺歌い切りましたよ」

「おお、よかった。いいコンサートだったぞ。これからもちゃんとみなさんにしっかり聴いてもらえるような歌を頑張って歌っていくんだぞ」

それが8月8日ですから。その後、苫小牧とか室蘭とか、帯広、北見かな?コンサート行って。8月27日、函館市民会館のコンサート、これは久しぶりに竹田さんが「まぁ、お前がどんなコンサートやってるのか、観てみたい、聴いてみたい。一緒に行こう」って言うんでこのSTV会館で待ち合わせをして、一緒に丘珠空港から函館空港へ(行くはずだった)。

 

ところが残念なことに、その8月27日、竹田さんはこの世を去りました。デビューして7か月。一緒に頑張って…。松山千春21歳、竹田健二さん36歳でした。

竹田さんが自分をこの世界に引っ張り上げてくれて、まぁ、相当心労…。もちろんSTVラジオのディレクターとして忙しい毎日を送られて。まぁ、そういうものが積み重なったんでしょう。

 

(左:竹田健二さん:/右:松山千春)

(富澤一誠「松山千春—さすらいの青春」1979年から)

 

亡くなる27日の前の日、夜ニッポン放送の方とお会いして、ニッポン放送から

「松山千春をオールナイトニッポン2部で使いたいんだけど」

―竹田さんはOKを出したそうです。しかし、竹田さんは

「実は彼とは約束してることがあるんだ。千春はレコードを出そうが、いろんなコンサートをやろうが、北海道を離れたくない、だから東京へ行って芸能活動、音楽活動することはありませんから。オールナイトニッポンやらせていただいて構いませんが、札幌から最終便で行って、で、始発で札幌に戻って来る、そんなかたちでもいいでしょうか?」

―ニッポン放送の方は

「もうそれで結構です。やらせてください」

…そんなことを俺に伝えることなく。

また、竹田さんに褒められたことがないんだな。一体俺のどこがよかったのか、どんなところに魅力を感じてくれてたのか、(竹田さんの)自分の、生涯の仕事、ラジオ局のディレクター、働いた退職金を前借りしてでも、こいつのレコードを出してみたい、そんな魅力が俺にあったのかどうか、今でも、もう亡くなってから45年経ってますけど、今でもそう思います。

春、コンサート行きますが、足を運んでくれたお客さんが竹田さんであり、また父さんであったり、母さんであったり、絵里子、姉ちゃんであったり、去年亡くなった明人、弟であったり…。そんな思いでステージに立って、元気よく歌っていることと思います。(…)1月25日は松山千春、デビューをした日ですから。何もかもこの曲から始まりました。

 

松山千春「旅立ち」

 

松山千春コンサート・ツアー2021「敢然・漠然・茫然」 

11/18(木)・19(金)東京国際フォーラム ホールA

(2022年1月25日デビュー記念日に日本コロムビアより公開)

 

~完~