9月26日の「松山千春のON THE RADIO」

4分過ぎから、9月19日に松山千春の実弟である明人さんが逝去されていたことを語り始めた。思わず「えっ!」と声を出してしまった。驚いた。

 

松山千春の話しを聴き進むほど、松山千春がライブで「俺の弟が楽屋に来た。明人。明るい人と書いて明人っていうんだけど、これが暗いんだ」と冗談交じりに何度も話していたことを思い出し、当然一度もお会いしたことはないが、涙が出る思いだった。

 

松山千春はお母様の逝去の時同様、気丈に語り、明人さんを偲んでいた。心よりご冥福をお祈りします。

松山千春の明人さんへの思いを留め置くために、今夜松山千春が語った全内容を2回に分けて掲載する。

 

(松山明人さん:左/右は松山千春 写真集「激流」から)
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(20分03秒時点から)

しかし、あれだなぁ、俺にとっては2021年、母さんの死から始まり、この9月の19日には弟が亡くなり、これで父さん、母さん、姉ちゃん、弟…ほんとはなぁ、明人は俺より四つ若いんだから、俺より先に死んじゃぁダメなのになぁ。まぁ、ほんとに…残念だなぁ。

で、今回まだ番組でもおかけしたことありませんが、10月に出す新曲「敢然・漠然・茫然」、この歌の中には、詞として、父、母、姉、弟…という、言葉が出て来ます。何の因縁なのか、初めて、家族五人のことを、中に入れた歌を出そうと…その矢先に、まぁ、明人が亡くなったってのは、ん~、悔しいっちゃ悔しいわな。ぜひとも兄の威厳としてな、「おお、明人、姉ちゃんも弟も出てくる、そういう歌が出たんだぞ、出来たんだぞ」…。

 

ところがあいつは…ん~いわゆる俺はフォークシンガーなんだけど、まぁ、フォークにしても、ポップス系にしてもそうなんだけど、どういうわけか、クラッシックへ進んでしまったんだよな。あれ、きっと、はっきりは聞いてないけど、やっぱりこれ、兄の影響だと思うんだ。なぁ、兄がギター弾いてな、自分で詞作って歌ってるからさ、その影響なのかやつはクラッシック…音楽は好きだったんだろう、多分。

 

けど兄貴の手前、クラッシック、頑張ろう…と言ってポリドールっていうレコード会社でクラッシックを担当して、そしてその後ユニバーサルレコードになって、2007年っていうから、今から14年前か?14年前に、明人がそのユニバーサルでプロデュースしたモーツァルト大全集、なぁ、これがCD180枚組、すごいよなぁ。で、これが結構売れて評判になって、で、明人もやっぱり自信をつけたんだろうなぁ。

けどそれが、まぁ、いろんな出来事があったと思うだけど、会社の中で浮いてしまったというかな、そんな中で早期退職。なぁ、そしたらやつは早期退職を願ってな、辞めて。それでうちの事務所に、あれほどなぁ、「兄ちゃんの厄介にはなりたくない」って言っておきながらなぁ、早期退職してオフィスゲンキに、来たからなぁ。あいつもいろんなことを考えることがあったんじゃないかなぁとは思いますけどね。

 

モーツァルト大全集 (全24巻/CD180枚組)

 

これからモーツァルトの曲を聴いていただきますけど。特に運転されている方やなんかはね、眠くなるような、そんな感じになるかもしれませんけど、うちの弟がですね、なんせあのぉ、モーツァルト大全集、なぁ、これウィーンフィルハーモニー管弦楽団が演奏してます

「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」

(35分24秒時点から)

なんせ、ん~ほんとに死んじゃった明人は、ガキの頃キャッチボールやろうとしても、「兄ちゃん、球、捕れない~」みたいなな。「ああ、お前キャッチボールもできねぇなぁ」「自転車乗るか」…自転車も乗れなかったんだよ、最後まで。そのくせ運転免許証は取ったんだよ。あれいいのかなぁ?って思ったもんな。「お前、自転車運転できなくてさぁ、自動車の免許証は取って大丈夫か、お前!」「乗ってみるか?」って言うから「ばかやろう、お前の運転なんか誰が乗れるよ」…みたいな感じでねぇ。

ほいで、葬儀とかいろんなことで話し合ってる時に、明人は実は大学を出た時に、オペラ歌手を志してたんだって。これは、俺初めて聞いた。まさかあいつがそんな気を持ってるなんて全然思ってなかった。なぁ、兄がフォークシンガーで、弟がオペラ歌手、これもよかったべなぁ~。(ルチアーノ)パヴァロッティ「カルーソー」


(49分38秒時点から)

ま、私事ではありますが、今年になって1月16日に母さんを亡くし、9月19日、先週です、弟を亡くし。まぁ、生前、明人といろいろ関わってくれた皆さん、ほんとうにこの場を借りて、兄として、お礼を申し上げます。

 

何といっても明人は30の時に一回り年上の42歳のいさこさん(正式表記不明)と一緒になりました。いさこさん、今74になったかな。なんせ俺より八つ上ですからね。八つ上の妹がいるんですから。で、いさこさんが「明人さん、最後は足寄へ帰りたい、帰りたい」って言ってましたよ。「え~、あいつ俺の前でそんなこと一回も言ったことないし…北海道なんかすぐ出て」…。なぁ、東京で、結局は川崎だったんですけどね。最期を迎えたんですけど、なぁ、「帰りたい」っていう、俺に一言でもな、言ってくれればな、ん~、ま、陸路がだめなら海でも、どんなことしてでもな、帰してやりたかったなとは思いますが。

 

ま、自分、松山明一家では、唯一残った者として、父さん、母さん、姉ちゃん、明人に…恥じないようなフォークシンガーとしての道をまたこれからも、歩み続けていきたいと思います。今回も最後までこうして付き合っていただいてありがとうございます。最後の曲は、やはり兄である私、松山千春の曲で「足寄より」

 

 

 

(右から松山千春、弟・明人さん、姉・絵里子さん

富澤一誠「松山千春―さすらいの青春」から)