2021年1月24日の「松山千春 ON THE RADIO」

 

番組の1時間を使って、逝去したお母様と家族について語っていた。その話しを書き起こし、2回に分けてブログに書き残すその2回目(後半)。1回目(前半)は下にリンクを張った。

 

改めて、松山千春さんのお母様、ミヨ様のご冥福をお祈りいたします。ありがとうございました。

 

(1回目 前半)

 

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(2回目 後半)

 

お陰様で、ミヨちゃん、旧姓は砂山ミヨ。大正10年生まれですから、大正、昭和、平成、令和と、立派なもんだよな。ありがたいと思うよ。何といっても足寄は母さんのふるさとで、父さんは札幌の近くの栗山というところでした。栗山で新聞を書いたり、いろいろやったんですけど、やっていけない、ということで母さんの実家の足寄にきてとかち新聞を出して落ち着いて仕事をやってました。そんな中いろいろあったんですけどね、まぁ極貧というか、これ以上の貧しさはないだろうみたいなね、全国貧しさコンテストで三本の指に入るようなそんな家でねぇ。

 

しかし、母さん、ありがとう。父さんが売れない新聞、印刷、そのために母さんは若いうちから土木作業員として一生懸命頑張ってくれた。中学の時、俺がバスケットを一生懸命やってたら、ほとんど家にいない母さんが、「千春、これ着てバスケット、頑張りなさない」と言ってジャージを買ってきてくれた。多分、花札で勝った日だったんだろう。「ああ、母さん悪いな」。開けてみたら、俺がまだ中学生なのに紳士ものの2L、どうやったら着られるのよ(笑)。けど、嬉しかったなぁ。何だかんだ言って俺の事気にしてくれるのか…。でかくて、でかくて着られませんでしたが、そんな母さんが好きでした。

 

「大空と大地の中で」(松山千春)

 

(松山千春一家 撮影はお姉様か?写真集「激流」から)

 

むか~し(昔)だなぁ。まぁ、小学校の頃か?母さんに、母さん土方だからな、普段いないから、雨降った日帰ってきて、「母さん、母さん何で土方やってるの?うちの周りの同級生みんな母さんが飯作って、いろんな世話してるよ」「何言ってんだい、バカだね、お前。母さんだって、土方したくてしてるわけじゃないよ。父さんを見てごらん。父さんを好きになっちゃったんだから。金にならないような仕事ばっかりやってる父さん、好きになっちゃったんだから、こっちが体張ってでも金稼いで来なきゃなんないでしょ」…それ言われた時にはな、「ん~、なるほどね~」とつくづく思ったけどな。人それぞれいろんなご家庭があり、人生があると思います。

 

「星空」(弾き語り)

 

そんな松山一家でしたから、俺が、母さんとの思い出は何だ?と言われたら…ん~、小学校上がる前かなぁ?五つとか六つの頃。花札の博打場でラーメンをすすってた自分がいた。大人たちが何をやってんのかわかんなかったけど、ただラーメンが食べたくて、母さんのそばにいた。それがあれかなぁ、一番古い記憶かなぁ。

 

あとは、うちは貧乏だったんで、いろんなものを買うことができなくて、母さんがリヤカーを引っ張って、俺が後ろからくっ付いて、足寄の街のゴミ捨て場に行って、そこでまだ使えそうな椅子だとか、机だとか、そんなものを拾って、リヤカーで、同級生に、また、友だちに見られたら恥ずかしいなぁ、とは心の中にありましたけど、威風堂々とリヤカーを引いている母さんを見てると、ん~、“俺たちは恥ずかしい思いをしてるわけではない。なぁ、生きるために必死で頑張ってんだ。どこに恥ずかしいことがあるんだ。お天道さんに顔を向けられないような、そんなことはしてない。”

 

とにかく、博打が好きで、花札で全国回って、俺が小学校5年ぐらいの時か、朝早く父さんが「千春!お前、早く起きろ!お前、北海道新聞見てみろ!母さん、載ってるぞ!」…賭博の現行犯で松山ミヨ、捕まりまして。なぜかおやじのテンションが高かった。ここだけの話しだけどよ。

 

俺、姉ちゃんが絵里子、弟が明人。父さん、俺だけに“「千春、花札は覚えないでくれ。他のマージャンとかそういうことはいいけど、花札だけは覚えないでくれ」…子どもの時言われたのが、”ああ、父さんとしても後ろめたい気持ちはあるんだけど、なにせ自分が稼ぐことができない、それでみんなに辛い思いさせてるんだなぁ。“そんな中でも力強かったねぇ~、うちの母さんは。

 

うちの母さん、松山ミヨ。1月16日、この世を去りました。極貧生活を過ごしていた松山家。俺が歌手になって、金が稼げるようになって、父さんが61、母さんが56の時に急に見たこともないような金がどんどん入って来る。

 

「父さん、母さん、俺は別に金使うこともないから、印税であっても何であっても、父さん、母さん、いろんな商売やったり、アルバイトやったり、苦労してきたろう。ただひとつやって来られなかったのが贅沢ってやつだろう。贅沢してくれ。金使ってくれ。いいか、貯めるなよ、金は使え。

一万円札なんてな、使わなかったら単なる紙切れ。使って始めて一万だ。ばたばたばたばた使えば、ばたばたばたばた入って来るから。あんなもんはな、世の中にばんばんばんばん使ってやらないとな、自分の上に回って来ないんだから。誰かが止めたら、そこで止まっちゃうんだから」

 

最後に親孝行が、そういう意味ではだぞ、できたなって思ってます。

 

亡きミヨちゃん。母さんとの思い出は俺が歌手になって、足寄の町民会館か?そこで俺が村田英雄さんの「人生劇場」を歌って、母さんが躍った…。母さん、日舞、踊りやってたからな。それが最高の思い出だったなぁ。なんせ松山千春が歌うんだぞ。そして松山ミヨが躍ったんだから。母さん、99年間、ありがとう。

 

「人生劇場」(村田英雄)

 

 

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2021.6.2再掲