昨晩(2021年1月24日)の「松山千春 ON THE RADIO」

 

16日に逝去したお母様との思い出をたどる話しで番組1時間を使っていた。その内容の全文書き起こしを2回に分けて。

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(左:お母様 2012年8月4日 松山千春35周年記念ライブにて)

 

1月16日にうちの母親、松山ミヨ。うちの母さんが、残念ながら息をひきとりまして、17日はお通夜をやって、18日葬儀。俺には死んだ姉貴の旦那さん、たけちゃん。俺が「母さんの面倒とかもみてくれてたし、喪主はたけちゃんでいいんじゃないか?」て言ったら、たけちゃんの方からね、「やっぱり松山家の長男として、千春がやれよ」「やっぱり俺が喪主やるか」。弟は東京にいるんですが、体調が悪くて来られないということで。

とりあえず、まず母さんが死んだことは公にしないことにしよう。身内、近所の人たちだけで小さくやろうや。本来ならでかくやりたいけど、何と言ってもこのコロナ禍、しかも真冬の足寄、寒いからなぁ。本当に知り合いだけで、見送ったというかたちになりますけどね。

自分の親しくしている人たちにだけは一応伝えておいて。あと、総理、菅さんにも。菅さん自身から電話が来て「千春さん、大変だったでしょう。お母さん、99歳まで頑張ったんですから。国会もあるし行けませんが(参列できませんが)、力落とさぬよう、これからも頑張ってください」…そういう電話をいただきました。

そうこうしているうちに、やっぱりこういう亡くなったっていうのは町の中を駆け巡る。なんせ足寄だからさ。そしたら宗男さんが来たもんなぁ。今参議院議員をされてる鈴木宗男さん。どこかから耳に入ったんだろうな。飛んで来てよ。「ちぃ(千春)、ほんとにお母さんにはお世話になった。今日日曜日で自分も飛んできたけど、明日からまた国会で東京に戻らなきゃならないけど。お通夜に来ることができて、お別れが言えるのは有り難いよ」―あの人はフットワークのいい政治家だとつくづく思いますね。俺は電話で宗男さんに「わざわざ足寄まで帰ってこなくて、大丈夫だよ」って言ったんだけどね。やっぱりそのへんは義理人情に厚いのかなぁ。たとえ30分でも1時間でも顔を出して。やっぱり有り難かったですねぇ。

先週の日曜日、17日、お通夜の日。日中最高気温が5℃、最低気温がマイナス21℃だった。まだ21℃、マイナス30℃までいっていないからな、いい方だなとは思ったけどね。それにしてもやっぱりしばれは、きつかったですね。


 ( 同上 )


母さんは身の丈がそんなに大きい方ではありませんので、また痩せてる方だったんで、“ああ、母さん、こんなふうになっちゃったか”…けど大往生だよ。ミヨちゃん、生まれが大正10年、3月15日。あと2か月頑張ったら満100歳、惜しかったなぁ。俺が13日の日かな?病院から「あまり長くはもちませんよ」と聞かされていたので、13日に俺が見舞いに行って。もちろんコロナ禍ですから、あの防護服を着てな、すべてを覆い隠して、一切物には触れずに「母さん、母さん」としかね。もちろん、母さん、返事できるような状態でもなかったし。死因は老衰。ある意味、皆さんもいろいろ経験があるかもしれませんが、突然亡くなるよりは老衰で、母さんにとってはよかったんじゃないかと思いますね。本来ならな、母さんのことだから、俺がくたばるまで生きてくれるんだろうと思ってたんですけどね。

 

まぁ、あのお通夜とか葬式、これはもう身内は大変ですね。お通夜は7時から始まって、で次の日が朝の9時から葬儀、ということでなぁ。納棺、母さんの遺体を棺桶に入れる時、いわゆる送り人の手際の良さにはびっくりしたな。あれは職人だな。見事にやってくれました。最後は死に化粧。できれば派手ではない化粧をお願いしたいんですが。お棺に何をいれようか?って考えた時に、うちの母さんは博打が大好きで、まず浮かんだのは花札。北海道ではとっぱ。入れてやろう。これはあの世へ行っても母さんは花札やりたがるだろう。あと麻雀パイ。麻雀パイは燃え尽きないんですよ、ですから麻雀パイはちょっと(ご遠慮願いたい)。とにかく博打の大好きな母さんだったんで、花札があれば遊んでいられると思いますんで。そして先に逝った父さんや姉ちゃんに、あれから千春や明人、こんな感じだったよって伝えてくれてるんじゃないかなと。

同級生も来てくれました。あと町長。そして前町長も。久しぶりに柚原良生、由良真一、こういう同級生も来てくれた。諸先輩、また後輩、いろんなところで活躍してくれてな。そうやって考えたら、ほんとに母さんと付き合いがあった人達で見送ることができたなぁと思って。馬鹿みたいにでかい葬式やってやれなかったけど、俺は前々から「母さん100歳になったら大々的にパーティーやってやるからな…」。あと2か月だったんだよ。久しぶりの足寄で、家で一夜を灯す。(家で)過ごしてみて「母さん、ガキの時とはだいぶ違った家になっちゃったけどさ、これも人生だよな」…そう思いながら、通夜、葬式と無事終えることができました。

「良生ちゃんとポプラ並木」(松山千春)