<2021.02.24>起稿

 

 

 

去年(2020年)の12月2日にリリースされた中島みゆきセレクトアルバム『ここにいるよ』

 

世界的なコロナ禍、この状況下を生きる人たちに贈る、「エール」と「寄り添い」という2つのコンセプトで選曲された名曲、代表曲26曲で構成されている2枚組。

 

今年(2021年)1月頭に購入以来ほぼ毎日聴いている。

 

オリコンデイリーランキング2021年2月21日付で5位、同月間ランキング12月は6位、推定売上枚数74,537枚、1月は15位、同23,721枚。息長く、多くの人たちにエールを送り、寄り添っている。

 

その「エール盤」の6曲目

 

「ひまわり“SUNWARD”」

 

1994年10月リリースのアルバム『LOVE OR NOTHING』に収録されている。

 

 

あの遠くはりめぐらせた 
妙な柵のそこかしこから
今日も銃声は鳴り響く 

夜明け前から

 

私の中の父の血と 
私の中の母の血と
どちらか選ばせるように 

柵は伸びてゆく

 

イスラエルとパレスチナ、かつての東西ドイツ、アフガニスタン、シリア、ソマリア、イエメン、ナイジェリア、エチオピア、エリトリア、アゼルバイジャン…世界のどこかしこで起こっている紛争や、特定の民族への迫害、分断などをイメージさせるような歌詞。

 

宗教、政治、民族、利害、イデオロギー、感情、誤った先入観などにとらわれ、今も繰り返されるそれらを憂い、警鐘を鳴らすように歌っているのかもしれない。

 

また、中島みゆきは「Nobody Is Right」(2007年)という曲で、

 

争う人は正しさを説く
正しさゆえの争いを説く

 

と歌う。2010年のツアーではこの歌詞を本人が朗読してから歌った。

 

中島みゆき「Nobody Is Right 」ダイジェスト

 

争いを仕掛けた側は、いつもさももっともらしい理由を付け、自分のみの正義を主張する。しかしその理由は後付けであり自己正当化の何ものでもない。

 

一般論としても、人間は自分こそが善で正しい=自分以外の人間は悪で邪、という見方に陥りがちである。日常の中では、ネットで誰かを攻撃する人間の意識の根底にもそれがある。

 

仮に百歩譲ってそこに何らか正当性があったとしても、それを通すための武力攻撃があっていいはずがない。武力に訴えることは絶対悪である。

 

(2023年7月筆者撮影/東京)

 

あのひまわりに訊きにゆけ 
どこにでも降り注ぎうるものはないかと
だれにでも降り注ぐ愛はないかと

(中島みゆき「ひまわり”SUNWARD”」)

 

どういう国に生まれようが、どこに住もうが、どんな信条を持とうが、どんな状況に置かれようが、人間は根源的にその存在自体が尊い。それは人間に限ったことではなく、すべての生命がそうだろう。何かで差別されるものでは絶対にない。

 

その存在に上下貴賤も軽重もない。何ものにも置き変えることができない。その意味で本来みな「平等」

 

差別する人間がいたら「あのひまわりに訊ききにゆけ」

 

その考えをかりに「人間主義」「生命尊厳主義」そして「愛」と定義づければ、その思想がこの世界に「平等」に降り注ぎ、行き渡って欲しい。

 

「命に付く名前を『心』と呼ぶ 名もなき君にも 名もなき僕にも」と歌う、同じく中島みゆきの「命の別名」(1998年)にも通じる生命観、人間観と言えるかもしれない。

 

 

たとえ どんな名前で呼ばれるときも
花は香り続けるだろう

(中島みゆき「ひまわり”SUNWARD”」)

 

身近に目を向ければ、花は人がどんな名前を付けようが、付けまいが、それとは関係なく咲き続けるだろう。どこにあっても、誰の庭にあっても香り続けるだろう。自分の命を生き切るだろう。

 

たとえどんな苦境におかれるときも、たとえどんな評価を下されるときも、そんなことは歯牙にもかけず、今いる自分の場所で自分らしく精いっぱい生きろ。今に全力を尽くせ―このアルバムにこの曲なければ成り立たない、力強いエールをたたえたながら寄り添う画竜点睛の一曲。

 

新妻聖子Cover「” ひまわり“SUNWARD“」

(作詞作曲 中島みゆき)

 

    

あの遠くはりめぐらせた
妙な柵のそこかしこから
今日も銃声は鳴り響く
夜明け前から

目を覚まされた鳥たちが
燃え立つように舞い上がる
その音に驚かされて 赤ん坊が泣く

たとえ どんな名前で呼ばれるときも
花は香り続けるだろう
たとえ どんな名前の人の庭でも
花は香り続けるだろう



私の中の父の血と
私の中の母の血と
どちらか選ばせるように
柵は伸びてゆく

たとえ どんな名前で呼ばれるときも
花は香り続けるだろう
たとえ どんな名前の人の庭でも
花は香り続けるだろう

あのひまわりに訊きにゆけ
あのひまわりに訊きにゆけ

どこにでも降り注ぎうるものはないかと
だれにでも降り注ぐ愛はないかと

たとえ どんな名前で呼ばれるときも
花は香り続けるだろう


たとえ どんな名前の人の庭でも
花は香り続けるだろう


たとえ どんな名前で呼ばれるときも
花は香り続けるだろう
たとえ どんな名前の人の庭でも
花は香り続けるだろう

 

(2023年8月8日筆者撮影/宮城県石巻市)
 

(余滴)

中島みゆきの世界の共同制作者である瀬尾一三氏が「世代を超えて中島みゆきが愛され歌い継がれる理由」を語っている(2021年9月7日BSフジ放送「輝き続ける中島みゆき」)

 

「彼女がクリエイトするもの、作り上げてくるものが、すごくマクロ的なものからミクロ的なもの、平面的なものから俯瞰的なもの…オールマイティのように色々と出て来るんですよ。

 

日常、何も気づかないようにしている、心の襞(ひだ)の中にあるささくれみたいなものとかを何気なく提示してくれる。時には傷に塩的なこともありますけど、そういうものも含めた上で、大きな愛があると思うんです、包むような愛が。

だから見捨てないっていう、最後には癒されるというか。個人、あなたっていうところの対峙の仕方をしているので、そこが(聴く人に)一番響くところだと思うんですよね」

 

「ひまわり“SUNWARD”」について、プロデューサー(アレンジャー)の瀬尾一三氏と音楽評論家の田家秀樹氏が語り合っている記事があったので以下にリンク。

 

 

 

【更新履歴】

<2023.8.16>
中島みゆき「Nobody Is Right」公式映像挿入
女優であり歌手の新妻聖子🔗による「ひまわり”SUNWARD”」Cover

公式音源挿入、筆者撮影写真挿入
<2022.6.21再掲>