さて、11月1日から読売新聞で連載してきた [時代の証言者]現代の吟遊詩人 さだまさし、昨8日で全26回の掲載を終えた。全回、さだまさしの人柄が伝わり、思い、信念が一本通っていたいい連載だった。
毎回楽しみに読んできたので、なくなると寂しい気がするし、このブログの記事素材のひとつがなくなるので、悩ましくもある。
12月8日の最終回は「曲作り 若い人に伝える」
今年8月、さだまさしは東京藝術大学の客員教授に就任したが、その昔、この大学に入ることを目指し挫折したこと、それがきっかけのひとつとなって歌い始めたことを考えると、歌が縁となり因となって、あの時の願いが今叶ったのだと思う。あの挫折にも意味があった。
連載期間中も、収容率の関係で”空席が目立つ”コンサートツアーを続けていた。コンサートツアーを敢行していたからこそ、この連載で書かれている内容にも説得力が増した。その意味で、連載第1回目の記事と、コンサートツアーに関係する私自身の記事二本を末尾に付けた。
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[時代の証言者]現代の吟遊詩人 さだまさし(26)
「曲作り 若い人に伝える」
◎最終回
コロナ禍で中断していたコンサートツアーを9月1日の川越公演から再開させました。聴衆を前にステージに立つのは7か月ぶり。デビュー以来、これだけの間隔が空くのは初めてです。お客さんの前で歌えることの喜びをかみしめました。同時に感染対策で定員の50%に抑えた客席を見て、ふと空席の目立った駆け出し時代のコンサートを思い出しました。あの頃は、お客さんに来てもらえるよう、必死に試行錯誤を繰り返していました。しばらく忘れていた初心に立ち返れたような気がしました。大みそかに東京・両国国技館で恒例のカウントダウン公演を開くことが決まったことも励みになります。
68歳となり、自分の行く末を考える機会が増えました。
昨年、特別招聘(しょうへい)教授として慶応大学で曲作りを教えました。学生に歌詞と鼻歌でいいから曲を作ってこいという課題を出したのですが、音楽に縁のない人が、これまで出合ったことのないような新鮮な曲を作り、驚かされました。さらに今年8月、東京芸大の客員教授を拝命しました。バイオリンでこの大学への進学を目指し、挫折した身としては、不思議な気持ちになります。やはり歌作りの講義を行うことになります。
そういった巡り合わせもあり、音楽を学ぶ若い人に僕の曲作りのノウハウを伝えたいと思っています。「この曲はこういった発想でメロディーを展開した」とか、「この曲はこんな気持ちで書いたけれど君ならどう書くか」とか。
これまでの活動で培ったことを後進に伝え、自分では作り得なかった「いいな」と思える曲を作ってもらえれば、こんな幸せなことはありません。僕からはぎ取れるものがあったら、全部持って行ってくれという気持ちです。
無論自分でもこれまで書いてこなかったテーマでどんどん曲作りをしていくつもりです。歌手としても、体が動き、僕の歌を求める人がいる限り、続けるつもりです。
小説で書きたいテーマは次々とわいています。今最も取り組んでみたいのは、長崎を舞台とした歴史小説です。30年ほど前、ふるさとについて知りたくて、ずっと探していた郷土史家の森永種夫先生が現代語訳した長崎奉行所の判決記録「犯科帳」全11巻を、大阪の古書店で見つけ入手しました。それを基に、かつての長崎の風情を織り込んだ小説を書こうと思っています。
デビューして以来半世紀近く走り続けてきましたが、行けるところまで、走り続けることになりそうです。(シンガー・ソングライター)