6月28日放送の松山千春ON THE RADIOで語っていた。

「正直、俺もコンサートがなくなったってことはまったく稼ぎがないわけだよな。けれど、事務所には、『まったく稼ぎがないけど、メンバーやスタッフが困らないようにな、それぐらいのギャランティはしてやってくれよ。俺はいいよ。俺は本人なんだから、ギターさえあれば、楽しく生きていけるから。全然俺のことは気にしなくていいぞ』」

 

松山千春、”金がなくても歌っていく”その精神だけは持っていたい。自身の”雨の歌”たちをかけ

 


さだまさしも5月31日の「シューイチ」(日テレ系)にリモート出演した折、語っていた。

 

中山:「スタッフの方たちも実際これは仕事にならないですよね?」
さだ:「仕事にならないというより、仕事がないんですよ。スタッフのことがすごく心配です。僕らもこのままだと生活ができなくなり、みんな苦しんでる。僕ら以上にフリーのスタッフが心配で。電話して”生存確認”してます」

 

さだまさし、「シューイチ」出演。「ステージに立ちたい。皆さんの拍手が我々の”主食”

 

 


松山千春もさだまさしも、バックメンバーのことやスタッフ、いわゆる「ローディー」たちが置かれた状況を憂い、気を配っていた。

 

松山千春の秋~冬のコンサート・ツアーをどうするか、おそらく7月5日放送の上記自身のラジオ番組で何らか発表するんじゃないかと思う。

 

いずれにしても決断に際して、アーティストやその関係者の苦心は想像がつく。

 

 

長渕剛は1982年9月にリリースしたアルバム『時代は僕らに雨を降らしてる』のA面5曲目に「ローディー (To 1981~1982 TSUYOSHI N. TOUR STAFF)」という歌を収録している。タイトルどおり、一緒にツアーに動き、支えてくれる仲間たち(ローディー)を称え、感謝をささげている。

 

1983年8月開催の長渕剛『SUPER LIVE IN 西武球場』では弾き語りをベースにこれを歌っている(以下音源/長渕剛公式)。細かいギターテクニックを織り交ぜていて、高校時代、何度ギターでコピーしたことか。

 

 

 

 

流れ出る汗を今ふき終えた
脈打つ心も静かになった
俺らを照らし続けたスポットも全て消えた
共に愛した短い夜が終わる

すばやい手つきで運び出されるピアノ
慣れた手つきでたぐりよせられるピンコード
俺らと働き続けたNice My Friends
傷ついたギターだけはここに置いとくれ

最後の夜汽車に乗り込むまでに
少しばかりの時間がある
あしたの街へ出て行く前に

唄っておくよしわがれた声で

ROADIE, Oh ROADIE 男たちの夢があり
ROADIE, Oh ROADIE 男たちの愛がある

汗臭いシミでよごれたシャツを着てる
不器用な顔したおちこぼれ達
なりふりかまわず明日のStageを作ってくれる
そんな奴等の笑顔はとってもきれいさ

同じ夜を迎えて 同じ朝を探し
同じ風を受け 同じ雨に打たれ
共に生きてる証しをこの手に感じながら
旅をしている俺たち そうさ風来坊

夜汽車の窓から街灯りが見える
遠くあの娘の事など想い出し
淋しがり屋が指おり数え 

小さなため息肩からおちる

ROADIE, Oh ROADIE 男たちの夢があり
ROADIE, Oh ROADIE 男たちの愛がある