「雨が降っていた どしゃぶりの晩 ぬれた地べたに 傘を突っ立てた」
―今日の午前中、亡くなった先輩の自宅に弔問に向かう最中、昨夜来の雨が残り、強い雨。近しい人を亡くした気持ちが混じって、長渕剛の「いのち」を口ずさむ気分だった。
こういう心境の時、松山千春の「冷たい雨」はいつも気持ちのベースにある。
(6月28日 10:15頃 千駄ヶ谷)
今日(6月28日)の松山千春ON THE RADIO。
雨を歌った自身の4曲をかけた。「置手紙」「冷たい雨」がかかったのは嬉しかったし、今日はまさに「冷たい雨」の心境だった。
今夜も自身の曲をかけるだろうと思っていたので、メンテナンスから戻ってきたスーパーアダマスを隣に置いて、流れてくる曲に合わせて弾いた。
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俺って、雨関係の曲、いっぱい作ってるよな。タイトルとして雨が入っているのもあるけど。
まずは、この間出した『思い出』に入っている曲の中から
「置手紙」
「銀の雨」
久しぶりに「銀の雨」をかけて、まあ、俺もですね、「銀の雨」を聴いていて、よくこんな歌詞が俺から出たなと感じたのと、それからサビの部分で、♫いいのよ~あなたに ついて来たのは~♬
普通は いいのよ~♬ と歌うけど、そこをコンサートをやっていると い(⤴)い(⤴)のよ~♫ と上げて歌いたくなるんだよ。けど、多分お客さんは普通に歌うのを期待してるんだよな。
あれな、誠に申し訳ないけどな、歌い手ってその日の気分で上げて歌ってみたり、ちょっと崩して歌ってみたりしたがるもんなんだよ。ところがお客さんは別に毎日観てるわけじゃないからな、初めてのコンサートでさ、せっかく知ってる歌なのに、ギャップが生じるかもしれませんけどね。
こればっかりはね、毎日歌っている俺たちとしてはね、その日の気分なんだ。
コンサート前に、まずは謝っておいて。
「冷たい雨」
今年開けて、レコーディングして、シングルは「ヤーヤーヤーヤーヤー」「空と月」、アルバムが『思い出』。これを3月(アルバム)、4月(シングル)と出してきたわけだけど、新型コロナウィルスに消されるようにですね、それでも一生懸命歌おうとはしてるんですけど。
ここへ来てオンラインでいろんな連中が、歌であったり、また、違う形であったりしながら、有料で(配信している)。正直、俺もコンサートがなくなったってことはまったく稼ぎがないわけだよな。けれど、事務所には、「まったく稼ぎがないけど、メンバーやスタッフが困らないようにな、それぐらいのギャランティはしてやってくれよ」「俺はいいよ。俺は本人なんだから、ギターさえあれば、楽しく生きていけるから。全然俺のことは気にしなくていいぞ」(と言っている)。
文化、芸能に対して国が冷たいんじゃないか。もっと国からの補助金、いろいろあって構わないんじゃないか、って言う芸能文化人もいるんだけど。(中略)立場、立場で言い分はいろいろあるかもしれないけど、俺たち歌っている本人は金なくても歌えますから。その精神(心構え)だけはやっぱり曲げたくないなと思う。
今日は雨に関しての自分の曲をお送りしましたけど、雨、好きなんですよ。ガキの頃から。うちの母さんが土木作業員やってましたから、雨の日は工事が出来ないんで、帰って来る日です。
そうすると家の中が賑やかになる。
それと、窓を見ていて、雨で濡れている。ロマンチックに感じるんだよ。うちみたいな貧乏人でもこの雨を通して街を見るとさ、みんなゆらゆらしてるんだよ。ああ、一緒に生きてるんだなぁ…そんなことを実感しながら、雨の日は大好きでした。
「僕なら」
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