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<2019.03.18>

 

(沈丁花)

 

昨晩(2019年3月17日)放送の「松山千春 ON THE RADIO」、番組の最後に松山千春自身の「春は来る」をかけた。
 

先日、「春は来る」について思うところを書いていたので嬉しかった。

 

松山千春「春は来る」―”冬は必ず春となる”原理を分かり易い言葉で伝えた名曲

 

春にちなむ歌でいつ聴いても、聴くたびに深まりを増して心に染みるのが松任谷由実さんの「春よ、来い」

 

1994年10月リリースのシングル

 

歌詞の言葉使いの美しさ、上質さからだろう、「音楽」の教科書に掲載されたほか、詩として光村図書出版刊の中学2年生「国語」教科書にも掲載されている。

 

2011年、東日本大震災の年の『第62回NHK紅白歌合戦』に出場した松任谷由実さんはこの曲を歌った。

 

 

この歌の歌詞についてはさまざまな論考まで書かれている。多くの人の心に染みわたっている証だろう。

 

こういう奥深く広がりがあり、目の前に情景広がるすばらしい楽曲に出会うと、理屈抜きに幸せな気持ちになる。

 

春は新しい生命が芽吹く「喜び」の季節である一方で、日本では年度の変わり目、卒業や異動など様々な「別れ」もまた伴う。

 

一番のAメロ部分は、春の「別れ」を、二番のそれは「恋心」を歌っているようにも読める。

 

何とか歌詞が伝える世界に近づきたい気持ちを込め、そのうえで私自身がどう聴くか。

 

1987年の8月、幾つもの病院を転々としながら最後の病院で、母が卵巣がんであることがやっと分かった。即入院。その時医師からは「あと半年」と宣告された。

 

沈丁花は春先に咲く。「俄か」に聞いた母の残された命。今の母の姿は「一時的な」ものなのか。来年の2月、沈丁花の花の香りが立ち始める頃に母はいなくなるのか。

 

快復を必死に祈り、母を励まし、家族で戦った。

 

医師の言う余命から約2か月も長く母は生き、3月29日に亡くなった。

 

春は悲しさと別れの一面を持っている。

 

風が春の香りを運び始める季節になると母の笑顔が浮かび、明るく私たちを呼ぶ懐かしい声が聞こえてくる。

 

恩師は「その人の中から、母の笑顔が消えない限り、人は絶対に道を過つことはない」と教えてくださった。

 

人生の苦境に立たされ限界を感じてふと立ち止まる時、もういいかな?と思う時、母の笑顔が浮かぶ。

 

「お前が望むように生きなさい」とベッドの上から私を叱咤してくれた母の声が聞こえてくる。つい先日から、その母の隣には父も笑顔で立っている。

 

「君が生まれてきた意味がある。君にしか果たせない使命がある」といつも教えてくださる恩師の声が聞こえてくる。

 

「春よ 遠き春よ 瞼閉じればそこに 
愛をくれし君の なつかしき声がする 」

 

「春よ まだ見ぬ春 迷い立ち止まるとき 
夢をくれし君の 眼差しが肩を抱く」

 

私に愛情を注ぎ夢を与えてくださった方々の懐かしい声が聞こえてくる。私を励ましてくださっている。

 

必ず「春は来る」。また新たな決意で、一歩踏み出す力が湧いてくる。

 

歩き出したその先に「春よ、来い」

 

松任谷由実―「春よ、来い」(1994)

松任谷由実―「春よ、来い」(2022mix)

 

    

淡き光立つ 俄雨

いとし面影の沈丁花

 

溢るる涙の蕾から

ひとつ ひとつ香り始める

 

それは それは 空を越えて

やがて やがて 迎えに来る

 

春よ 遠き春よ 瞼閉じればそこに

愛をくれし君の なつかしき声がする

 

 

君に預けし 我が心は

今でも返事を待っています

 

どれほど月日が流れても

ずっと ずっと待っています

 

それは それは 明日を越えて

いつか いつか きっと届く

 

春よ まだ見ぬ春 迷い立ち止まるとき 

夢をくれし君の 眼差しが肩を抱く

 

夢よ 浅き夢よ 私はここにいます

君を想いながら ひとり歩いています

 

流るる雨のごとく 流るる花のごとく

 

春よ 遠き春よ 瞼閉じればそこに

愛をくれし君の なつかしき声がする

 

春よ まだ見ぬ春 迷い立ち止まるとき

夢をくれし君の 眼差しが肩を抱く

 

松任谷由実 ―「春よ、来い」
(2020年公開)

松任谷由実 – 春よ、来い(LIVE映像)

(TIME MACHINE TOUR Traveling through 45 years)

(2020年3月公開)