松山千春コンサートツアー1983

 「今、失われたものを求めて」

1983年6月19日(日)

山梨県民文化ホール

 

<セットリスト>

 

1.青春Ⅱ(弾き語り) 
2.長い夜 (弾き語り) 
3.雨あがりの街 (弾き語り)
4.夜よ泣かないで (弾き語り)
5.帰ろう (弾き語り) 
6.走れ夜汽車 (弾き語り+笛吹さんマンドリン?)
7.大空と大地の中で
(インターバル)
8.Sing a Song 
9.悪い夢 
10. 感謝
11. Only you
12. 今、失われたものを求めて 
(アンコール)
13. 電話

 

5万人ライブの興奮は松山千春本人にも多くのファンの皆さんの中にも充分残っていた1983年。コカ・コーラのCM登場はとにかく嬉しかった。オベーションスーパーアダマスとコーラの瓶を抱えたあのポスター、何店も回って何枚も集めた。

 

 

1983年の春、弾き語り+アコースティック編成でのツアー 「今、失われたものを求めて」を敢行した。二部を中心に笛吹利明さんやラリー須永さんがバックについていた。

 

当時高校1年。山梨県民文化ホール。指折り数えて6月19日を迎えた。

 

当時の音楽誌「ギターブック」でツアー前の松山千春へのインタビュー記事が掲載されていて、そこで「1曲目は『青春Ⅱ』っていう歌」と本人がさりげなく語っていた。

当時の愛車のBMWも写っていたと記憶する。

 

それを読んで、弾き語りで「青春Ⅱ」はどういう弾き方をするのか興味深々で、事前にストロークで練習してみた。

 

実際には、一番をアルペジオ、二番をスリーフィンガーで歌った。これには感動した。

背筋がぞくぞくした。あの後、当分その弾き方にはまった。

 

会場は熱気にあふれていた。二階席のファンの方が「今、ポップな彼が足寄から!」という横断幕を出していた。今もその内容を覚えている自分がなんか嫌だが、今思うと、何とも時代を映したコピーだった。

 

一部がとにかくよかった。とくに「青春Ⅱ」「雨あがりの街」「帰ろう」「走れ夜汽車」が聴けて嬉しかった。今になれば後ろ3曲はむしろ貴重。

 

松山千春の声のパワーは凄かった。

 

一部ラストの「大空と大地の中で」は、当然ながら、今とは比べものにならないぐらい新鮮だった。

 

デビュー当時の、ギターを抱える何とも言えないあの松山千春の雰囲気が漂っていて、観て聴いていて嬉しかった。

 

 

二部は正直なところ心動くところはほとんどなかった。

あえて言えば「Only you」「今、失われたものを求めて」ぐらいか。

 

どこの曲間かは記憶にないが、「ひと夏の恋」の一番終わりに入るあのため息を聞かせるために、ワンコーラスだけ歌い、ため息。
そこで歌は終わった。そこまで歌うのだったらフルコーラス歌ってくれればいいのに、と思った。

 

当時松山千春27歳。若さと全盛期の勢いもあって、やむを得なかったと思っているが、トークも肩ひじ張った年齢不相応の内容だった。”デカい言葉”が並んでいた。

 

何より、ツアー開始前から「騒いで終わるコンサートの流れを変えたい。アンコールは1曲だけ」と豪語に近い言いっぷりで、確かにラストが「電話」、騒いで終わってはいない。

 

全13曲のみ。当時私は「騒いで終わらなければいいわけだから、アンコールをしっかりやって、最後に『電話』でいいだろう」と思った。尻すぼみ的なステージに不完全燃焼だった。

 

当時の音楽シーンへの挑戦、あの時の松山千春だからこそできた抵抗。そういったものがあったのではと理解はした。

 

それぞれのアーティストにライブスタイルがあるわけだから、それを松山千春が「俺が変える」と言う必要もなければ、変えられるわけがない。

 

ただ、それらとても当時は松山千春大ブームの中で、ともあれ生で松山千春の歌を聴いたことが嬉しく、ほだされていた。

 

その後、自分の部屋で当分、「青春Ⅱ」「雨あがりの街」「帰ろう」「走れ夜汽車」をそのライブの弾き方のままにコピーしていた。

 

その2年後、同じく山梨県民文化ホールでのツアー「虹のかなた」

当時、松山千春を取り巻く状況は大きく変わり、傷心と決意のステージ。

 

ラスト。ステージ前まで駆け寄って、松山千春とファンの皆さんとで泣きながら歌った「旅立ち」は、今こうして書いていても背筋がぞくぞくする。

 

私の中では一生忘れられないライブである。

 

 

 

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