今夜(1月27日)放送の松山千春「ON THE RADIO」。

 

昨年秋のツアーで松山本人が着用したステージ衣装の当選者発表があった。

当然ながら、外れた。

 

ずっとバーバリーブラックレーベル関係を集めているので、バーバリーのダウンジャケットが欲しくて応募した。応募するとやっぱり気になるもので、ひょっとすると当たるんじゃないか?なんて思う。

 

長女が私に言う。

「えっ??パパ、ほんとに自分が当たるつもりでいたの??幸せだね…」

ほっとけ。早々に外れた。


 

それはそうと、番組の最後にデビュー満42年に関連して、デビュー当時のことについて言及していた。それは自著『足寄より』(昭和54年4月刊)にも書かれている次の場面だった。

 

 一月二十五日がきた。

 俺は札幌のキャニオン・レコードに行った。したら、宣伝部の坂本さんに会った。「どうですか、俺のレコード」

「返品だ」

 脇から営業課長が、

「あと二、三日で必ず返品になる」

 俺はがっくりきたよ。

 しかし、それにしてもおかしいと思った。レコード業界のことはなにもしらないけど、いくら名もないやつだからって、発売したその日に返品とはどういうわけなんだ、と思った。もう少し店においてくれたら、一枚や二枚は売れるだろうに。世間はつめたいもんだなって考えたりした。

 もうガックリ(原文ママ)もいいとこ。もうこれでレコード望みないな、と覚悟きめた。

 それにしてもおかしいんだよね。返品だっていいながら、坂本さんはニコニコしている。売れなきゃ、キャニオンだって困るだろうに。

よく聞いてみたら、これがとんだ誤解。返品は欠品の聞き違いだったんだ。大笑いだ。

 ものすごいダッシュで売れてったらしいね。

 

     (松山千春著『足寄より』  「恩人 竹田さん急逝」の章 153~154㌻/第1版第17刷)

 

 「そのことをよく覚えている」(要旨)と語り、「旅立ち」を流した。

 

 こういう語りを聞いていると、こちらも幸せな気持ちになる。

 何歳になっても、どんな立場になっても自分を見出し育ててくれた恩師を絶対に忘れない。いつも自分の原点を確認する。そこに人間としての偉さと輝きがあると思っている。

 

 以下の「旅立ち」映像を、中学3年の1982年8月に、当時の後楽園球場で観た。

 松山千春の野球チームの試合観戦に当選した。 試合前に「スペシャルプログラム」とか言って、オーロラビジョンに松山のライブ映像が映し出された。その中にこの「旅立ち」も入っていた。後年LD「起承転結」に収録された。

 

 内野席で身動きできないほど感動して、感動余ってその2か月後、中学校で行われた学園祭で弾き語りで歌ってしまった。自分の弾き語りについては思い出すたび赤面の至りだが、この「旅立ち」は今でも感動する。37年前のことだけど、よく覚えている。

 

 デビューして満42年。よくぞここまで歌ってきてくださったと思う。私の人生の中で、もう40年以上も松山千春の歌がともにある。

 

 これからも、どうかお元気で、もっともっと歌い続けて欲しいと願う。

 

 

 

 

 

 

 

(関連拙稿)

松山千春「旅立ち」― 今も忘れられない4回の「旅立ち」