行動の意味が変わる。
定義が変わる。
セルフイメージが変わる。
私はズボラでめんどくさがり
私は元々ズボラでめんどくさがりで怠け者で一生横になっていたい、最低限の人間活動すらまともに出来ない人間だった。
お風呂も毎日入るのが億劫でしょうがなかった。
引きこもりのコロナ禍で最高4日入らなかった。
化粧落とすのもコンタクト外すのも難しかった。
とにかくめんどくさくて気力がなかった。
なぜ今それらが自然に出来るようになったか。
理由の1つは体力がついたおかげで気力や元気に溢れているから
それについてはまた別記事で書きたい。
過去にチラッと書いてた。
もう1つの理由に、行動の意味が変わった、定義が変わった、ゴールが変わったというのがある。
定義ってなに?
定義が変わるって何?
ずっとそう思ってたけど何となく最近こういうことかなって体感がある。
例えば、面白いや楽しいの定義
【以前の私】
感情が上向きに動いてケラケラ笑っていたりテンション上がってたり情動的であることだった。
自分の知っている状態の中で最高の状態。
自分に都合が良い。誰かと一緒にその場を共有している。
【最近の私の面白いや楽しいの定義】
自分の知らない事を知ること。情動は関係ない。必ずしも笑ってない。むしろ嫌だという気持ちの場合もある。自分に不都合。1人でも可能。
定義って自分の中の価値観が変わること。
自分の選択肢が変わること。
世界が変わること。
私の中の大きな変化は自分にとっての不都合を楽しめるようになったこと。
「自分を大事にする」ってどういうこと?
理想通りになること、自分の望むことが全て叶う事、全て思い通りになることが最高のことだと思っていた。
最高の定義も変わっている。
自分にとって不都合であることを排除しようと過保護になりすぎていた。快適を目指しすぎて自分を守りすぎてきた。それはただの怠惰だった。だから全てがめんどくさかった。
私は「自分を大事にすること」を随分と勘違いしてきた。
自分を大事にしているつもりが、ただ何もさせてないだけになってしまっていた。
不都合を取り入れるようになって色んなことが反転している。
色んな言葉の定義が反転している。
もう私は自分のことをズボラでめんどくさがりとは思わなくなっている。
料理をすること、食べることの意味
ずっと料理に苦手意識やハードルがあった。
だからわざわざ料理教室に何度も通った。(通算6年w)
食べることは大好き
でも私は食べる専門で作りたくない
それも変わってる。
食べることは大好きだけど、好きなものをお腹いっぱい食べることではなくなっている。
食べることは生きること
今は栄養を大事に考えている。
身体が元気で居られること
そのために私は食べたい
それが今の私にとって自分を大事にすること
動ける身体作りに手間をかけたい。
時間をかけたい。






