以前、こんな記事を書きました。

「声を上げることのリスクと宝塚ファンの流儀」
私は舞台を観るために声を上げなければならないことがあるので、ぶっちゃけ、
トーンポリシング対策である。



トーンポリシング、ご存知でしょうか?
社会の問題に対して声を上げたマイノリティに対して
「要望の伝え方が良くない」
「そんな高圧的な言い方をする人には、何もしてあげたくない」
「あなたの言っていることは我儘だ」
など、言葉に対して批判し、相手を攻撃することをトーンポリシングといいます。

例えば以前「保育園落ちた日本死ね!!!」という訴えが話題になった時、
そんな言い方は良くない、乱暴で共感できない、などという人も少なからずいました。


【参考記事】

『中立的な立場に見える「トーンポリシング」に騙されない!モバプリの知っ得![96]』


(記事引用)
直訳すると、トーン(話し方)+ポリシング(取り締まり)で、「話し方や言葉遣い、態度や感情を批判する」という意味になります。
(中略)

トーンポリシングを行う人たちは「主張は分かるけど」と前置きし、一見良き理解者で冷静なアドバイザー的な立場のごとく振る舞います。
それらは物事を俯瞰で見ている、中立で賢いイメージを抱くかもしれません。
しかし、「言葉が汚い」「冷静になった方がいい」と着地することで、マイノリティーの主張をずらし、無効化し、分断を加速させる原因となるのです。
(引用終わり。フォント変更)


実は私も過去に、トーンポリシングをしていた。仲間内で、あの言い方はないんじゃない?などと言ってしまっていた。

今は、どんなことがあっても
トーンポリシングだけは
やってはいけないと戒めている。

「保育園落ちた日本死ね!!!」という発言で
女性は適切な言い方もできないのか、とみられるデメリットよりも、
この訴えで子供を保育園に預けて安心して働ける社会に変わっていくほうが、よほど重要だ。

主張を無効化し、分断を加速させてしまうトーンポリシング。
これをやっても、なんのいい事もない。
むしろ社会を変えるのは「保育園落ちた日本死ね!!!」のような一言なのかもしれないのだから。



社会の問題について厳しく文句を言うことが、マイノリティには許されていない。
私だって「エリザベートのBlu-rayに要望しても字幕をつけない東宝死ね!!!」
とか言いたいけど (笑)
言葉をオブラートに包み、
いかにマイノリティの主張が万人に受け入れられるようにするか、心を砕かなければならない。
同じことをマジョリティが言うのは許されても、マイノリティが言うのは許されない、それは社会が成熟していない証でもある。


今年の1月、歌詞の著作権と鑑賞サポートについて声を上げた時は、叩かれることも覚悟のうえだった。

決して厳しい言い方はしていないつもりだけれど
熱烈なファンは、いま楽しんでいる舞台で起きた問題について書かれたツイートを喜ばないかもしれない…

我儘だ、聞こえないのから仕方がない、著作権があるのだから我慢するべき、といった差別的な言葉を突きつけられるかもしれない…

震える指でTwitterの投稿ボタンを押したのを今も覚えている。

 


その後多くの方々の共感やお力添えをいただき、

歌詞が出ないという状況に変化があった。



あの時、震える指でTwitterの投稿ボタンを押したのは

きこえなければ、音の情報(歌詞)を得る権利がないという理不尽な社会を変えたいという

ただその一心だった。




今日も誰かが震える指で、

Twitterの投稿ボタンを押している。


どんな形であれ、声を上げている人を
わたしは応援している。