『女って残酷で強いなーと教えてくれた物語』from 吉祥天女 | 仕事とマンガと心理学

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心理カウンセラーが語るマンガと小説についてのブログです。
心理学でマンガをみるとオモシロいので、それを伝えたくて
ぐだぐだお送りしますので、楽しんでくださいね!

こんにちは、プロフェッショナル心理カウンセラーの織田です。

今日はこの作品をば。

 

 

「吉祥天女」

 

作者の吉田秋生さんは、あの「BANANA FISH」を描いた方。

硬質な線で、においがしないのになまなましい

不思議な絵を描く漫画家さんです。

 

吉祥天女は、叶 小夜子という

1人の「女性」の物語であると同時に

天女にどうしようもなく惹かれ恐れ

最終的には身を滅ぼす

1人の「青年」の物語でもあります。

 

この作品も、吉田秋生さんらしい

過去の因縁と恨みと復讐に彩られた

作品なんですけれど

最初に読んだのが高校生だったかな。

 

女って怖い・・と思った作品です。

 

それは、次々と男どもを滅ぼしていく

主人公の小夜子に感じたのではなく

転校してきた小夜子と「友達」になった

「普通の女子高生」として設定されているであろう

小夜子の同級生である浅井 由似子ちゃん。

 

彼女は子どもの頃に痴漢にあって

少々男性恐怖症な人。

気になる異性に対しては

特に恐怖感や反発心がでるので

同じく同級生の遠野涼(この作品の男性側の主人公でしょうね)には

特に反発心みたいなものがあるようです。

 

それでも、物語の中で

気にしているそぶりや本当は惹かれているんじゃないかなー、

事情は全くわからないし

小夜子の魔性めいたものもよく感じ取っていない、

けれども何だかとんでもない事情もありそうな雰囲気だけは

敏感に感じている

小動物のような、無害な存在のこの「普通の女子高生」が

当時私には一番怖かった。

 

それは、全ての惨劇が終わり

遠野涼も死に

小夜子は転校という形で去った後

由似子はくったくなく言うのですよね。

「今度の転校生は男子だといいなー」

 

え、そうなの?

あんだけの事件のヘリにいて

そこはかとない想いを遠野涼に抱いていて

それがあんな形で死んじゃって

 

そんでもって次の転校生は男子がいいだと?

 

この無邪気さ。

この悪気のなさ。

怖い。

 

怖いと思ってしまったんですよね、当時のワタクシ。

小夜子のような魔性の女っていうのは

もう既に「怖いもの」として現れているので

逆に怖くはないのです。

自分と離れたところにいる存在であるという

分類ができるから、自分側に「入ってこない」。

 

けれども、由似子は

読み手の自分側に設定されている人物で

ドラマティックな存在ではないから

油断しているんですよね。

不意に「こちら側」に入ってくる。

 

さっさと「次」へ行けてしまう残酷さ。

執着しないという残酷さ。

必要ないと思ったら捨ててしまえる残酷さ。

軽やかに爽やかに

くったくなく「過去」として切り離してしまえる残酷さ。

 

自分の中にもある残酷さだから

あの台詞にハッとしたのでしょう。

 

だから、実はこの有名な作品、

私の記憶には

小夜子や遠野涼という主人公格の記憶は

あまりなくて。

今回たまたま再読する機会があり

自分の中にすごく強く印象に残っていた由似子って

こんだけしか出てこなかったっけ?

あれ、最後のこの台詞ってこんなに小さいコマ?

全然違うものの象徴じゃないのコレ?と

戸惑ったものです。

 

マンガに限らず、さまざまな作品には

もちろん作者の意図はあるのだけれど

読み手・聞き手・受け取り手がどう感じていくかで

どんな作品になっていくかというところがあって

マンガだとしたら、描いて発表された後

それぞれの読み手の中でどんな物語になっていくか

実はそこも「クリエイト」の内なんじゃないかなと

思うことがあります。

だから、語っていて飽きることがない。

ココロに響いた時点で

もうそれは、「その人の物語」でもあるからです。

 

だとすると、吉祥天女は

私の何の物語なんだろう?

彼女が恐らく無邪気に何も考えず

次は男子がいいなーと言った

あの台詞に私は何を恐怖したのでしょうか。

 

何気ない一言にこだわる自分のココロが面白くて

だから、分析やめられないんだなーと

思っています。