『愛される理由?』from キャンディキャンディ | 仕事とマンガと心理学

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心理カウンセラーが語るマンガと小説についてのブログです。
心理学でマンガをみるとオモシロいので、それを伝えたくて
ぐだぐだお送りしますので、楽しんでくださいね!

こんにちは、プロフェッショナル心理カウンセラーの織田です。

今日の作品は、これも懐かしいですねえ、こちらです。

 

「キャンディキャンディ」

 

少女マンガ王道が固定したのは

このあたりではないかとにらんでいるんですが

これもヒットしました。

誰でも「知っている」作品ですものねえ。

 

孤児院で育ったキャンディという女の子の

立身出世物語。

・・・ん?

 

あるのか、そんなの。

というぐらいに、いわゆる「イケメン」に

次から次へと惚れられるキャンディ。

意地悪なニールとイライザに

次から次へといじめられるキャンディ。

 

孤児院からお金持ちの家に「お嬢様の話し相手」として引き取られ

アードレー家の養女になり

飛び出して看護師になり

よく正体のわからない「アルバートさん」を助け

最終的には、正体不明だったアードレー家の総長である

「アルバート」さんと結ばれるのでしょう。

そして何と、アルバートさんは

キャンディの幼い大事な思い出、

辛い時にいつも心の中に浮かべていた

「丘の上の王子さま」だったというオチでした。

 

「君は笑った顔の方がかわいいよ」

 

絵に描いたような(まあ、マンガですから)

ハーレクインロマンス(ただし色気はなし)で

大河ドラマで

今思い浮かべると、よく出来た物語です。

 

若くして亡くなったアンソニー

アンソニーと仲の良かったアーチーとステア、

学院で出会ったテリィ

意地悪ばかりしていたニール

そして、アルバートさんと

キャンディときたら

軒並み相手に惚れられちゃう。

 

「美人じゃない」という設定ですから

見かけで好かれていたワケじゃなさそうです。

(少女マンガですから、充分可愛いんですよね)

 

「愛される理由」。

 

なんだかこんなタイトルのエッセイ?が

昔ありましたねー。

さて、キャンディは

なぜこんなに愛されるのでしょうか。

 

幾度となく、このブログでもお伝えしていた

ユング心理学的に考えると

とても分かりやすい。

 

最初の「丘の上の王子様」は

オールドワイズマン=自分を指し示し導いてくれるもの、でしょう。

アンソニーはその「丘の上の王子様」を

投影しているものですし。

テリーは、シャドウ=影そのもの。

キャンディは性格的にあまり

さびしがったりすねたりしていませんが

そういう気持ちがないのではなく

それを抑圧しているワケですから

自分と反対の部分を強く表現する

テリーに惹かれていったのでしょう。

 

アルバートさんは、

ぐるりと一周してきて、オールドワイズマンですかね。

でも、もし本当にこの人と結ばれるとしたら

けっこう大変そうですけれどね。

 

で。

 

逆から見ると、

愛される理由っていうのが

よく見えてきます。

 

キャンディは、なんだかんだと強いメンタルを持った女性です。

自分の身の上をしっかり受けとめ

しかしそれに対して引け目はあまり持たず

自己肯定感も安定していて

大変な状況でも、恵まれた状況でも

人とは偏見なく付き合っています。

 

そして、いつも未来を見つめている。

希望を決して捨てない。

誰かをあてにしたり

誰かをクイモノにもしない

そういう女性です。

 

だからこそ、彼女の周りにいる男性たちは

彼女に「憧れ」たのだと思うのです。

グレートマザーにしてオールドワイズマン的な

性質を持ったキャンディ。

でて来る男性たちが、どこか女性的であるのに比べ

キャンディは「男っぽい」んですよね。

 

彼女の周りにいる男性たちには

自分を導く「父親的な存在」にあまり恵まれていないように

思います。

そう、強い負のグレートマザーは多いんですが

お手本となる「男親」みたいな存在がない。

 

このあたり、当時の日本の状況と合わせて考えると

面白そうなんですが

ここでは手にあまりますので

それはまたいずれ。

 

とにかく、ぐいぐいと強く人生を生きる彼女に

彼らは自分の人生の生き方を強く示唆される。

テリーなんかは典型でしょう。

 

このあたりが

グレートマザーであり、オールドワイズマン的なんですよね。

 

キャンディの周りにいた彼らは

いずれもいいお家の生まれで

子どもの頃から恵まれ、かばわれてきた

「男の子」たち。

ニールのようにはっきりと

甘やかされてきた「男の子」もいます。

それぞれの抑圧を抱えて

何となく環境に馴染み準じてきた彼らに

颯爽と「1人の人間」として生きるキャンディが

現れるのです。

 

愛される理由は

本人にはわからないかもしれません。

だって、キャンディは自分で自分の生き方を考えて決めて

実行しているだけであって

誰かに愛されようとか誰かに合わせようとか

何かに合格しようとか考えているわけではないから。

 

だから、多分キャンディの愛される理由は

愛されようとするのではなく

生きたいように生きている、

ということでしょうか。

 

キャンディキャンディを思い出しながら書いていたら

けっこうこのマンガで深く考察できることに

気がついてしまった。・・

やはり名作っていうのは

色んな深みがあるものなんですね。