『助けに来たロボットは癒されたのかもしれない』from ドラえもん | 仕事とマンガと心理学

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心理カウンセラーが語るマンガと小説についてのブログです。
心理学でマンガをみるとオモシロいので、それを伝えたくて
ぐだぐだお送りしますので、楽しんでくださいね!

こんにちは、プロフェッショナル心理カウンセラーの織田です。

出ました。このマンガ、迷ったけど出しました。

やっぱり、やっぱり、欠かせません。

 

「ドラえもん」

 

うーん。

名作過ぎるマンガです。

 

不思議な四次元ポケットから

いろんな道具を取り出し

のび太くんのピンチを救うはずが

いつも「うまく」はいかず

道具に振り回されて

終るこのパターン。

 

普通に考えれば

いじめられっこで

成績も悪く

立ち回りも悪いのび太くんの

救世主になるはずのドラえもん。

 

でも、結局絵に描いたような

「いい結果」はなかなか生まれず

ドタバタで終るこの物語は

実は結構苦い物語です。

 

そもそも猫型ロボットであるはずのドラえもん、

ねずみに耳をかじられて

(ロボットの耳をかじるとは未来のねずみはすごすぎる)

そのまま耳がないままの

不思議なロボット、ドラえもん。

 

猫型をしていない猫型ロボットという時点で

もう不思議なアイデンティティのゆらぎを

感じさせるこの物語、

世の中そんなに甘くないんだよ、と

言っているようで。

 

いやいや、子どもの頃は

次はどんなものがポケットから

飛び出してくるのやら

わくわくして見ていたものなんですけれどね。

 

作者の藤子不二男さんたちは

後年のそれぞれの作品を見れば

どれもこれも

ほろ苦いマンガを描かれており

決して能天気なだけの物語を紡ぐ方々ではない・・

というのは、すごくわかるのですが。

 

のび太くんを助ける為の

数々の驚異的な未来の道具たち。

でも、それは、更なる災厄へと

のび太くんを誘う狂言回しになっている。

 

ここにドラえもんという作品の

メッセージがあると考えてしまうのは

邪推かな?

 

だって、本人がいうような使命を負って

過去にタイムマシンでやってきたのであれば

出している結果に

相当悩むと思いませんか?

ああ、このヒト、

こんなに便利な道具が来ても

上手く使いこなせていない・・・。

 

もし私がドラえもんで

クライエントがのび太くんなら

相当悩む(笑)。

 

自分はどうせ

耳のない、猫っぽくない

猫型ロボットだし。・・・と

自己否定感にまみれるかもしれない。

 

何のために

自分は来たのだろう?

ドラえもんは

もしかしたら押入れの中で

煩悶していたのかもしれないのです。

 

それを救ったのは

でも、のび太くんだった・・・と

私は思うのです。

 

さすがに全巻は読んでいないのですが

子ども心に泣きながら読んだのは

第六巻、ドラえもんが未来に去るときの

エピソード。

 

何の力も借りずに

ジャイアントと戦って

ぼろぼろになるのび太くん。

ドラえもんのポケットから出てくる

どんなものよりも

のび太くんを動かしたのは

ドラえもんへの友情でした。

 

結局、本当のところでは

何かに頼ることはできない。

自分を動かすものも

自分を成長させるものも

自分から生まれるものでしかない。

 

だから、ドラえもんは

眠るのび太くんの顔を見ながら

何も残さずに旅立ちます。

彼?がのび太くんにした

最大のことは

のび太くんの友達になったことでした。

 

未来のテクノロジーではなく。

便利な道具でもなく。

のび太くんを天才にしたわけでもなく

器用にしたわけでもない。

のび太くんを変えたのは

のび太くんの心から生まれた想いだけだった。

 

「過去と他人は変えられない。

変えられるのは、今と自分だけ」

エリック・バーンの美しい言葉です。

 

ドラえもんの物語に触れると

この言葉が浮かびます。

どんなテクノロジーも人の心は変えられない。

テクノロジーに触れて

動く人の心だけが

自分のものであるということ。

 

人工知能は人になりうるか?

SFは幾度となくこの問いを繰り返しています。

アイザック・アシモフも。

ロバート・A・ハインラインも。

他の多くのSF作家達も。

そして、結果として

アシモフもハインラインも

Yesと答えているように

私は感じるのですが

それは、人工知能に接した「人間」が

創っていくもののように思うのです。

 

のび太くんに出会って

猫型じゃない猫型ロボットのドラえもんが

導き手になったように。

 

ドラえもんが「ドラえもん」になれたのは

まさしく

この瞬間だったのでは、と

思うのです。

 

人は、救おうと思ったものに

救われる。

 

ドラえもんの物語で

実は一番助けられているのは

ゆるぎない友情に支えられている

ドラえもん自身ではないかと

大人になってから初めて

感じます。

 

そして、周囲を振り返る。

助けているものに

助けられている存在が

なんと多いのだろうと。

 

人は、支えているつもりで

支えられている。

支えられているようで

支えている。

 

ドラえもんの笑顔が

ちょっぴり苦くて

でも、やっぱり彼は

のび太くんに愛された

最高に幸せなロボットのような気がするのです。

 

だから、子どもは

ドラえもんが好きなのかもしれませんよ。

のび太くんのように

子どもたちはドラえもんを

愛してあげたいのかもしれませんね。