選択権 | 12枚の羽根の歌

12枚の羽根の歌

生きることは踊ること!

おととい、昨日と、ビオダンサ・スクールのウィークエンドでした。
スクール始まって3回目。仲間たちはすでに家族のようで、知的にも、体感・感情的にも、毎回とても深いことが起こってる。
感想を一言でいうと、「嬉しい~、幸せ~、美しい~、大好き~~~~~」 四言になっちゃった。


体験は人それぞれで、それでいい。
生命の世界には多様性が必要。
そして、個々にさまざまな体験をしながらも、同じ場を共有して、そして少なからず、同じ感覚や感動も体験することの奇跡。


今回のモジュールは「ビオダンサの生物学的側面」がテーマで、
そう書くと小難しそうだけど、
ほんとはシンプルなことで、私たちは単独でこの世にいきなり存在しているわけではなく、宇宙の始まりから今に至るまでの生命の歴史の流れの中で、いまここにいる、ということ。

私たち自身の中に、生命の歴史がすべて詰まっているということ。
なぜって、私たちの身体を形作っている物質は、そもそも、はるか百何十億年も昔に存在して、今はもうない星々の中で作られたから。



……っていうことから始まり、「生物としての人間」っていう側面から、知的に学んだり、意見を出し合ったりして、
そして、踊ったのです。



そこでどんな体験をしたかはさておき(すぐに言語化しないで、神経系・内分泌系・免疫系を司っている原始脳の方で処理されるのを待った方が良いのです)、

ウィークエンドを通してずっと、意識にのぼってきていたこと:


それは、私たちは、選択権を持った存在なのだということ。



さまざまな生物がいる中で、人間がもっとも個体として未熟な状態で生まれてくる。
そして、成熟するまでの間に、さまざまな体験を積んでいく。それらの体験によって、その人の人生は大きく左右される。

生まれた段階でかなり成熟している生物には、そうして生じる個体差が少ないかもしれない。
そういう意味では、人類は生物として弱いと言えるのかもしれないけれど、
でも逆に、環境因子に大きく左右される私たちは、ネガティブな環境因子の影響も受けるけれど、ポジティブな環境因子の影響もしっかり受けるということ。

つまり、飛躍的に良い方向へむかう可能性を持っているということ。

それを選びさえすれば。


日々いろんなことで気持ちがアップダウンする。
小さなことでいちいちくよくよしたり。
自分を責めたり。
がっかりしたり。
嫌な気持ちになったり。

出来事ひとつひとつの意味づけは自分でしているもので、
けっきょく、「幸せになる方を選ぶか、不幸せになる方を選ぶか」っていうことになる。
それは、「自分を好きになる方を選ぶか、嫌いになる方を選ぶか」とも言えるかもしれない。

ビオダンサの創始者、ロランド・トーロ流に言えば、「生命を育む方向へむかうのか、生命を貶める方向へむかうのか」っていう表現になるのかな。


環境因子って、一応「自分の外部から来るもの」だけれど、
自分で選んでいる部分も大きい。どの環境因子を受け取るか。

それと、
自分が他者に対してどんな環境因子であるかも、選べるもの。


落ちこんでる時は、「なんでこうなるの」「どうせ~~なんだ」「こんな私なんて存在価値がない」とか思ってたりする。
その時、「幸せであれる」ほうの選択肢は、見えてない。一生懸命、不幸せであれるよう、自分を痛めつける(笑)

私も、ちょくちょくやる。


それが悪いっていうんじゃなくて。
ポジティブシンキングになんなきゃ、っていうことじゃなくって。


そんな時の私も、生きていて、大きな生命の歴史の一部で、身体のすみずみまで、細胞のひとつひとつまで、生命で満ちているんだ。
それは、とてもいとおしいこと。

それに気づけたら、生命の流れに乗って生きていける。
「積極的に生きる」方を選べる。


むかし、スリーインワンを学んでいた時、
「振る舞いのバロメーター」を使って、「ネガティブ」な感情状態に対応する「ポジティブ」側の感情を検出できることを知った。
それはほんとうに画期的で、ものすごく役に立った。ネガティブサイドに振れ過ぎていた感情を、「本当は何が欲しかったのか」に気づくことで、ポジティブサイドに引き戻すことができるから。

それで、「意識」「潜在意識」「身体」それぞれのレベルにさまざまな感情の層がある中で、
一番下、
もっとも深いレベルの「ネガティブ-ポジティブ」は、「CHOICE - NO CHOICE」なんだった。

つまり、
私たちがもっともダメージを受けるのは、「選択の余地がない」と感じている時なのだということ。

そして、それは、「選択」という選択肢(!)に気づいたとたんに、脱することができる状況なのだということ。



「選べない」「しかたがない」と思いながら生きていくよりも、
自分で「選んで」生きていく方が、結果どうこう以前に、ずっと生き生きするのだということ。


「自分の選択を後悔する」というのは、よく陥りがちな罠。
「自分で選んだんだからいいじゃん!」で良いのだ!!! 
……と、自分にいちばん言い聞かせる(笑)


だって、
自ら選択するって、それだけで、勇気ある尊い行為なんだもの。



そうそう、
スリーインワンを学んだ時に言われたのは、
バロメーターを使って感情のバランスを取ることをツールとして使うけれど、
「でも本当は、ネガティブサイドが悪いからポジティブサイドを目指そうというわけではなく、その真ん中こそが、本来歩むべき道、タオなのです」
というようなこと。



深いなあ。ほんとうに。
真ん中。
「CHOICE - NO CHOICE」 すら、相対的なものでしかない。



私たちはけっきょく、「生きない」ということはできない。
だって、生命はすでに、私たちそのものだから。


ふは~。あまりにも大きな感覚だったので、言葉でつかまえきれたかわからない~。
まあいいか。書きたかったので書きました♪