アイネスフウジンがダービー馬になった頃はまだ関西馬は秘密的な存在だった | 花岡貴子オフィシャルブログ「ねぇブロ」Powered by Ameba

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今でこそ中央競馬は東西の行き来が盛んですが、

いまから30数年前、

アイネスフウジンが日本ダービーを勝った1990年ごろはまだ関東馬は関東、関西馬は関西で戦う時代でした。

で、GIになると集結する、みたいなかんじでしたね。

 

そして、関西馬が関東へガシガシくるようになったのはミホノブルボンが日本ダービーを勝ったころからでした。

それまではGIIを勝ったくらいの関西馬は関東のGIに遠征してきても、いきなり人気になることは少なかった。

 

アイネスフウジンは皐月賞でハクタイセイに負けて2着でした。

で、そのハクタイセイはきさらぎ賞まで5連勝してるんだけど、当時3番人気だった。

それは関東ではハクタイセイが遠い存在だったからなんだよね。

あのころはグリーンチャンネルもまだなかったし、関東在住のわたしが関西馬の情報を入手するだけでも一苦労だったんです。

 

馬かきました馬

Yahoo!ニュース

ウマ娘実装のアイネスフウジン【前編】 3歳チャンピオンから若武者に敗れた弥生賞、痛恨の皐月賞

続きはアイネスフウジンのウマ娘育成キャラやストーリーが公開されてから、それを見て仕上げます。

きっと、あの「ナカノコール」も盛り込まれているだろうからネニコニコ