自分軸を見つける | 地球のお母さんになりたい

地球のお母さんになりたい

地球に生まれ、地球に育まれ、地球に与えられ、いまここにいる私。いっぱい包んでもらったから、私は地球のおかあさんになりたい。
みんなのお母さんになりたい。

私は、自分を軸にして考えることが
苦手だった。

これ、実は結構大変なことなんです。

多分、私の資質と育ってきた環境の中で、
これが一番いいと身に着けた癖なのだけど、

大人になって、
自分が人生を選択するときに、
その選択の基準がわからない。

もちろん、まったくないわけではないし、
判断もできる。

だけど、
何がしたいのか、
何が欲しいのか、

自分というものがこぼれでるような問いのとき、
すすすすすーっと自分を消す、逃げる、
そんな癖がついてしまっていた。

たとえば、すべての判断を、
宗教の中で信じている神にしてもらえたら、
こんなに楽なことはない。

一見委ねて、自然に生きているようだけど、
これは、自分が消えているし、
逃げている。

ただ、自分の想い癖、考え癖の中にいるときは、
私はそのことがわからなかった。

自分を消すのに抵抗がないので、
共感力も半端なかった。

すすすすすーと相手の気持ちがわかったり、
相手も気付いてないような魂の計画に触れたり。

相手の傷や痛みに反応して、
その場所が痛かったり、つらかったり。

でも、自分軸をなくせば、
これは、実は簡単なんです。

そして、あえていうなら、
自分を消して得るサイキック能力は、
実はい・ら・な・い。

こういった力は、
自分のなさからやってきて、
そして、また、自分で判断できなくなる人を
生みだしてしまう・・・。

私は、46歳のときから、
自分軸を取り戻すということを始めた。

このとき、私は、起き上がれなくなっていた。

家に引きこもって、仕事もしないで、
毎日、無為に過ごしていた。

そうなったのは、
ライターの仕事で集中的に受けたさまざまなセラピーや、
ヒーリングからなのだが、
必要だから、この時期に起きたんだと思う。

私は、いったん、人とか社会から離れて、
一から自分が何をしたいのか、確認した。

それはね、毎朝、今日は何を食べたいかからだった。

そして、私の答えはアイスまんじゅう。

家から出られなくなった私が、
夏中食べ続けたのはアイスまんじゅう。

自分を置き去りにしすぎて、
どこから私で、どこから私でないか、
すっかり混乱してしまった私の、
私再生開始だった。

ほぼ3年か、4年くらい、家から出なかったと思う。

携帯も変えて、
友達との交流も途絶え、
仕事も休み、

そんな中で、私は、
何もしてない私、
むしろ、何もしてないどころか、
社会的に言えば、必要がないといわれても
おかしくない自分が、

愛おしくて、
素晴らしくて、

何もしてなくても、ここに生きていいと思えたとき、
心の底からそう思えたとき、

自分軸を取り戻して還ってきた。

自分軸ができてからは、
勝手に誰かの心を読んだり、見たりすることは
なくなった。

たとえ、それが興味半分でなく、
相手を真摯に思う気持ちだとしても、
誰もにきちんとそれぞれの道があり、
知る必要のあることは知るとわかってから、
一切のおせっかいを止めた。

おせっかいではなく、
リクエストをもらって、
仕事として、対応するようになった。

そのツールとなってくれたのが、
ボイジャータロット。

自分軸ができて、以前のように、
手に取るようにわかるという感覚は消えた。
消したといってもいいのかもしれない。

でも、それでよかった。

私が私を生きている、
その喜び、その奇跡をベースに、
相手を受け入れる。

自分を消して、相手と同化するのでなく、
自分を誇りに思い、自分を祝福しながら、
相手とひとつになる。

それを大切にしている。

自分が好きだから、相手も好き。
すべてが好き。

この私を十分体験するために、
私はすべてからやってきたのだから。

そうそう簡単に自分を捨ててしまうのでなく、
私にこだわり抜いて、
私を生き抜いて、

そして、すべてと溶け合う。

それこそが、本当のひとつなんだと、
最近は思うようになった。

ただ、これって実は答えのないことなんだと思う。
正解はない。

いつも、どんなときも、
自分を生きて、生きたうえで確かめ、確かめするしかない。

私は、私の生きてきた軌跡から、
今、そう感じている、思ってるということだ。

すべてってことは、
いろいろあるってことで、
いろいろあってそれでいいというのが、
きっとひとつということなんだと思う。

これも私の感覚。
私が生きてつかんだ、今の想い。