2023年9月1日。(1回目の開頭手術後17日目)
日常生活を送る中で毎日がリハビリ。
用事で出かけたりランチ行ったりそれなりに充実してました。
この日は久しぶりに不随運動と脱力発作の症状が…
オペしたのにこれからもこれが続くのかと思ったら一気に不安がよぎる
症状が出た時は安静にするのが一番。外も暑いしのんびりするのことも大事なこと。
そして翌日の2023年9月2日。
更なる不運の幕開け
娘のバイク事故、勃発
夜、家でバスケの試合をテレビで見ていたら電話が鳴る。
出ると救急車の方からだった。
娘さんが事故に遭いまして出血が酷いのでこれから病院に搬送しますと…
とうとうやっちまったか
いつかこんな日が来るのではと思っていたので意外と冷静だった
あまり深く考えないところは私の長所かも?笑笑
バイクの免許を取りたいと言い出した娘に自転車でも事故るのにバイクなんて危ないからあかんと言い続けてきた。
私が脳梗塞を発症し、後遺症で仕事を忘れてしまって大変だった時に自転車で事故し高山からすっ飛んできた、忘れもしない私の44歳の誕生日
思い返せばあの時から不運は始まっていたのかも?
バイクは車と違ってむき出しだから事故ったら危ない。
車の免許を取るまで我慢するよう言っていたので娘は彼氏のバイクの後ろに乗って過ごしていた
(言っても聞かないお年頃。誰に似たんだか?←間違いなく私だな)
うちの家の近くの病院だったら良かったのに、よりによって搬送された病院はお隣の県
(数時間前に姪っ子がイオンで見かけたと言ってたのに、いったいどこに向かってたんだよ)
脳梗塞(高次機能障害)を発症してから車の運転が怖くなったプラス術後で私自身もまだ体が本調子ではないがとにかく行かねばならぬってことで病院へ向かった
生きてさえいればなんとかなる!
これが今まで破天荒な人生を歩んできた私のモット~。笑笑
流石、私の娘、悪運強し。
お陰様で脳などに異常はなく顔も無傷。足の骨折だけで済みました
痛いってめっちゃ泣いてましたが、言うことを聞かなかった娘の自業自得。
こんで済んで良かったやん!と言う私に娘は安全運転してっていつも言ってたのにと彼を責めまくってました
一緒にバイクに乗ってたんだから彼氏を責めるのはちょっと違うくない?
事故りたくて事故ったわけじゃないし。
いくら気をつけてても事故ることだってあるし。
起きてしまったことはしゃーないやん。
(この時は私もただの普通の骨折ぐらいで甘~く考えてた。自分の病気と娘の骨折のダブルパンチのはじまりはじまり)
娘は車とバイクの衝突により吹っ飛ばされ、左足の筋肉がえぐれて骨がむき出しに…
骨が空気に触れると菌が入るとかですぐ骨を洗浄しないといけないらしく時間との闘いだとか…。
足が壊死するかも?とも言われました。
筋肉をはいで移植する感じで、もしかしたら筋肉と骨がくっつかないこともあるとか…
急なことで説明を聞いても高次機能障害の私にはすぐ理解することは難しくて難しくて、ただお願いするしかなかったよトホホ
娘のオペ手中、警察の方と電話でやりとり。
ドラレコで確認したら車とバイク両者の信号無視だったことが判明
今回の事故現場。全ての信号が赤になる瞬間が3秒あるそうでその時に衝突したとのこと。
娘の彼氏もあと1秒止まっていたら相手の車が信号無視ってことで済んだのに皮肉な結末
因みに娘の彼氏はうちの近くの病院に搬送され、顔など傷まるけで鎖骨骨折したものの家に帰れたようで、この事故をきっかけに連絡先を交換しました。
(娘に優しくしてくれてたし、よく泊まりに来てたこともあり息子のように可愛がってた。)
娘のオペが無事終わり、説明や手続きを終えた頃には深夜。
必要なものを買いに近くのコンビニまで歩いて行った時にはすでにぐったり。
なんせ足がまだ術後で不自由だったからきつかったな~苦笑
(この時はちょっとの距離を歩くのも大変だった)
自分の体のこともあり娘の病院に頻繁に通うのは大変なのでうちの近くの病院に転院したい旨を伝えた。
帰宅したのは3時
私が退院したと思ったら今度は娘。
一難去ってまた一難。トホホ
生きてると本当に色々ありますな