遠藤麻理の能楽入門 お能で美しく? | 遠藤麻理Fan

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「遠藤麻理の能楽入門 お能で美しく?」に行って来ました。出演者は、遠藤麻理さんと山階彌右衛門さんです。去年もりゅーとぴあ能楽堂で遠藤麻理さんのイベント「能楽堂で楽しむ 秋の夜長」がありました。

遠藤麻理さんが能楽堂の舞台に立つのは何度目でしょうか?僕も一度、能楽堂を足袋を履いて歩いたことがあると、昨年「秋の夜長」のアメブロで投稿しました。

10年くらい前、新津美術館主催の若月忠信さんが講師で年4回やっていた「シーズン&アート」というイベントを能楽堂でやった時、朗読を担当したのは遠藤麻理さんでした。「シーズン&アート」は、最初の頃はFM新津のアナウンサー(遠藤洋二郎、船尾佳代、野口智美、山本真澄など)が朗読を担当していましたが、NHKのアナウンサーやBSNの石塚かおりさんも担当したことがあります。

FM新津での若月忠信さんの番組に最多ゲスト出演(20回くらい)している僕が、一番朗読が上手いと思っている人は、亡くなった女優の千賀ゆう子さんが別格の上手さです。安吾のイベントや安吾忌に何度も出演してくれました。アナウンサーでは中津川英子さんです。中津川さんは、安吾関係のイベントの司会を担当することが多いですが、朗読をさせたらその作品の世界に引き込まれます。セリフのところは、その登場人物になりきって読んでくれるからです。船尾佳代さんや遠藤麻理さんの朗読は、まずまずです。船尾佳代さんは、安吾や三島由紀夫など何度も朗読を聞いていますが、途中で読みがつっかえるところが何回かあるので、事前に読み込んで朗読に臨んでくれればまずまずです。「ますみん」こと山本真澄さんは、かなり上手いと感心していましたが、事件を起こして逮捕され、行方知れずになったのが残念です。聴いていて、一番気持ちの良くなる朗読は、FM新津の本田尚子さんの朗読です。初見でも若月忠信さんがビックリするほど、朗読が上手かったし、声が誰よりも一番良い声でした。遠藤麻理さんも声は良いが、本田さんの声には負けます。

りゅーとぴあと言えば、毎年数回、「馬場あき子の能楽入門」をやっていましたが、今年は、その告知がありません。

遠藤麻理さんは、馬場あき子の座を奪ったのだと思います。馬場あき子さんは、新潟日報の短歌の選者でもあり、能についての著作もあります。

遠藤麻理さんと馬場あき子さんでは、ギャラがかなり違うと思いますが。

席は最前列。開演して、しばらくしてから後ろを振り返ったら、席は4割〜5割は空いていてビックリしました。1階の受付で「当日券あります‼︎」の表示がありました。



遠藤麻理さん、今回も着物で登場。「苦しいです」と一言。前回は黒のスケスケの着物でしたが、今回は白のスケスケの着物。

スケスケの着物を絽(ろ)と言うそうです。通気性もあるから、夏に着るのに良いでしょう。前回も黒のスケスケでしたが、生地が所々赤く見えたりして、まるで溶岩を見るようでした。黒の下に赤の着物を着ていた訳ではありません。特別な織り方の生地を使った着物だったのでしょう。

能楽堂だからって、着物を着る必要はないのではないかと、僕は思います。今回のように演技するのなら、和泉元彌の姉のように袴を履けば楽なのではないか?

「四畳半スタジオを聴いたことがない人いますか?」と麻理さんが客席に向かって聞いたので、勿論僕は手を挙げようと思ったが、僕の方に視線がなかったので手を挙げるのをやめていたら、後ろの方で一人、手を挙げた人がいたみたいだ。「よくも来てくださいましたね」と軽い毒を吐きました。

能には、5つの流派があります。観世、宝生、金春、金剛、喜多です。


山階彌右衛門さんは、観阿弥・世阿弥の子孫であると紹介されました。演劇を始めた者の子孫が、現在も続けているのは、観世家だけです。シェークスピアやギリシャ悲劇を作った者達の子孫は絶えてしまいました。

山階彌右衛門さんの兄の観世清和さんが観世流の宗家。彌右衛門さんは、平成19年2月から山階家の十二世山階彌右衛門を名乗っている。前名は観世芳宏。初舞台は4歳。56年目だそうです。観世家には、宗家の他に分家が銕之丞家、梅若六郎家があり、さらに銕之丞家から分かれた喜之家、六郎家から分かれた万三郎家がある。そのうち銕之丞家は、宗家に嗣子のない時はそれを継ぐ格式を持っている。その他、橋岡、片山、林、井上、大槻、山階などの諸家がある。

山階家の十一世山階信宏は、1990年に亡くなっています。十二世山階彌右衛門さんは、2007年に17年ぶりに絶えていた山階家の名跡を継いだわけです。

世阿弥自筆の「風姿花伝」は、観世家の蔵から明治時代に発見された物であるとの話がありました。その時、遠藤麻理さんが吉田東伍の名前を出してくれなかったのが残念でした。遠藤麻理さんは知らなかったのか?

風姿花伝を発見して、学会に発表したのは、新潟県安田町生まれ、新津の大鹿の吉田東伍です。吉田東伍は、「風姿花伝」など世阿弥の16の著作を集めて、『世阿弥十六部集』として、出版したのでした。僕は吉田東伍記念館が開館した時から、毎年数回、企画展や講演会に参加していて、世阿弥十六部集のことは昔から知ってはいたが、世阿弥十六部集発見100周年記念の企画展で詳しく知ることが出来ました。

観世流には、95歳の女性の現役の能楽師がいるという話が出ましたが、その人の名は、山階弥次(やましな やじ)さんです。1925年生まれ。10世山階徳次郎の孫で、前名は敬子です。

能の演目は、観世流の場合、210あるとの話がありました。他に戦後作られた新作も沢山あります。
遠藤麻理さんが一番好きな能の演目は、「葵の上」だそうです。僕は思わず、「それ見た〜」と、手を挙げそうになりました。前回の「能楽堂で楽しむ 秋の夜長」のアメブロ投稿でも書きましたが、僕が初めて見た能が「葵の上」でした。新津が新潟と合併する前、新津市美術館が開館して、まだ1ヶ月経っていない頃に、新津市美術館で「葵の上」を見ました。25年以上前です。「葵の上」は、「源氏物語」の葵の巻を典拠としているが、葵の上は登場しない。六条御息所が主人公である。能には、六条御息所が主人公の演目は他に「野宮(ののみや)」がある。

2015年、銀座のGINZA SIX(旧銀座松坂屋)地下3階に観世能楽堂が出来たとの話がありました。それまで観世能楽堂は渋谷区松濤にありました。江戸時代、観世流の能舞台は、銀座にあったそうです。それが明治になると、幕府側であった観世流は静岡に追いやられていました。昭和47年(1972年)に松濤の佐賀藩主鍋島邸跡地に観世能楽堂を建てました。松濤から銀座に移転する際、桧で出来た能舞台は、そのまま移築したそうです。150年ぶりに観世家は銀座に戻りました。

次に遠藤麻理さんは能の面をつけさせてもらったり、衣装を着させてもらいました。面も衣装も江戸時代初め頃に作られたもの。麻理さんが付けた面は、小面(こおもて)という若い女性を表す面です。付けても麻理さんの素顔と変わりありません。目は小さい穴が空いているだけだから、前が全く見えないと麻理さんは言いました。

最後は遠藤麻理さんが山階彌右衛門さんからセリフの喋り方、舞台のすり足での歩き方、座り方、立ち方、振り付けなどを学びました。これをやる時間をもっと増やして欲しかった。前半のシテ、ワキなどの用語解説、能から生まれた日常使っている言葉などの解説は、初歩の初歩で、前回も少しやっているのだからいらなかったと思う。遠藤麻理さんが能舞台をずっとすり足で歩いて回ったり、座ったり、立ったりするのを1時間半見ることが出来たら、満足感がハンパない。

能楽堂入り口では、能装束のスヌーピーグッズが沢山売っていました。普段は観世能楽堂で売っていますが、限定でりゅーとぴあでも販売されました。

能楽堂でのイベント、年数回やって欲しいです。