仕事は探してやるものだ。自分が創り出すものだ。与えられた仕事だけをやるのは雑兵だ(織田信長)
日本では、昔から
「先生の言うことを聞いて、良い子でね」
という教育が行われてきた。さすがに、最近は教師をそこまで信用する人はいない。先日も、日本版DBS法が成立したばかり。生徒に手を出す教師が多すぎるからだ。
子どもに接する仕事に就く人に、性犯罪歴がないか確認する制度「日本版DBS」を導入するための法律が成立しました。
受験勉強の観点から言うと“先生の言うことを聞いている”だけで、合格がつかめるわけがないのだ。
「うちの子は、宿題をちゃんとやっているから四日市高校も合格できますよね」
という保護者の方もみえるが、残念ながらそんな勉強法で難関合格ができるほど甘くない。言われたことしかやれないのは、織田信長のいう雑兵なのだ。
生徒の才能は人により違う。志望校も違う。育った環境も違う。だから、自分の勉強法は自分で探すしかない。対策は自分で創りだすしかない。それが出来ない生徒は、合格できない。これは、意見ではなく30年以上の経験から言っている。
私の指導した多くの生徒の中で、難関校に合格したのは「言われたことだけをやる」タイプの子ではなかった。難関校ーたとえば、旧帝に合格できる子は全体の5%以内程度だ。人と同じことをやって、人より上に行くなんて出来るワケがない。
実際、私が指導さえてもらって京都大学の医学部に合格した子など奇人・変人扱いだった。学校の指定した問題集など無視。学校の授業進度など無視。定期テストも無視して、ひたすら模試の対策をやっていた。要するに、学校では問題児だった。
みなさんは、歴史上の人物の話を聞いたことがあるはずだ。織田信長は「尾張の大うつけ」と呼ばれていたし、坂本龍馬は「寝しょんべんたれ」。アインシュタインもエジソンも学校の教師は「見込みなし」と判断していた。
どんな中小企業でも、大企業でも「生き残りの鍵は差別化だ」というのは、常識。差別化とは「人と違うことをやる」ことだ。ところが、日本の学校は「全員同じことをやれ!」と強制する。同じ服装、同じ髪型、同じ教材、同じテスト、同じ・・・。
ふざけんな!
そんな教師の言われたことだけをやる生徒は、モノにならない。受験で成功できるワケがない。