番宣広告シリーズ ~ 外貨割当の事情で『ニッカ ヒッチコック劇場』が休止(昭和34年6月) | 高木圭介のマニア道

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~浮世のひまつぶし~

昭和34(1959)年6月16日(火曜)。外貨割当の事情 によって、しばらく放送が休止になってしまう ニッカ ヒッチコック劇場 (日本テレビ)の告知も含めた番宣広告。



外貨割当の事情とは、真面目に説明し出すと、なかなか面倒なのだが、外貨資金割当制度(FA制度)と呼ばれ、昭和39年までは 輸入貿易管理令 において、このような縛りがあった模様だ。テレビ番組の輸出入に関しても、決してフリーダムではなかった模様だ。


  昭和34年6月16日(火曜)のテレビ欄

この制度により、ニッカウヰスキー提供枠 は毎週火曜夜9時15分から木曜夜8時枠へと移動してプロ野球のナイターを中継することとなった。結局、人気の『ヒッチコック劇場』が日本テレビに帰ってきたのは、約1年半後 の昭和35年12月のことだった。