あの日の東京12チャンネル ~ 国際プロレスの立場がないアントニオ猪木特番(昭和52年3月) | 高木圭介のマニア道

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~浮世のひまつぶし~

昭和52(1977)年3月14日(月曜)のテレビ欄より。



東京12チャンネル では夜10時から、 映画監督競作 われらの主役「世界最強・アントニオ猪木」なる番組を放送。同じく12チャンネルで夜8時からレギュラー放送されている 国際プロレス勢の立場 がないったりゃありゃしない……。

5年後(昭和57年)には、ここに名前が記される ラッシャー木村アニマル浜口寺西勇 は「はぐれ国際軍団」として三人束となり、猪木一人と戦うことになるのだから、壮大なる前フリだったということか。

   

この猪木特番を監督した 勝目貴久 は、私の年代だと『情熱の花』(昭和35年)や『われら人間家族』(昭和41年)といった監督作品よりも、『ともだち』(昭和49年)とか『アフリカの鳥』(昭和50年)、『四年三組のはた』(昭和51年)、『お母さんのつうしんぼ』(昭和55年)といった、ハートウォーミングな児童映画の脚本を手がけた人 として知られている。

最近、夏休みの昼間とかに、この手の素晴らしい児童映画も放送しなくなってしまったことだし、これら勝目脚本作品ともども、この『世界最強・アントニオ猪木』もテレビ等で再視聴する機会を作って欲しいものだ。

 

  昭和52年3月14日(月曜)のテレビ欄