新聞広告シリーズ ~ 浅草國際劇場「歌う石橋正次」(昭和47年11月) | 高木圭介のマニア道

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~浮世のひまつぶし~

昭和47(1972)年11月。浅草國際劇場 にて開催の 歌う石橋正次 新聞広告。司会は玉置宏だ。


       

当時の石橋正次は超売れっ子。歌手として『夜明けの停車場』が大ヒットするだけでなく、日曜夜などは夜7時から『アイアンキング』(TBS)で 静弦太郎 としてアイアンベルトを振り回しつつ 不知火一族独立幻野党 と戦っていたかと思えば、夜8時からは『飛び出せ!青春』(日本テレビ)にて太陽学園サッカー部の高校5年生・高木勇作 として不良高校生に逆戻りしていた。


  昭和47年10月8日(日曜)のテレビ欄

このショーには『飛び出せ!青春』のビギンこと河野先生(村野武範)や主題歌(太陽がくれた季節)を歌う 青い三角定規、『アイアンキング』の相棒・霧島五郎(浜田光夫)が特別出演や友情出演するなど楽しそうな趣向だ。



幕間に上映される映画は石橋正次とはなんら関係のない『旅の重さ』(斎藤耕一監督)だったりする。