プロレス広告シリーズ ~ 日本女子プロレスの「IWWA世界選手権シリーズ」 (昭和44年3月) | 高木圭介のマニア道

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~浮世のひまつぶし~

昭和44(1969)年3月、日本女子プロレス の「IWWA世界選手権シリーズ」、品川公会堂大会(4月9日)と三鷹市公会堂大会(4月10日)の新聞広告。



エース・小畑千代 選手と、今朝方、心不全のため亡くなられたと訃報が入ってきた 佐倉輝美 選手 (享年83) ぐらいしか知っている選手はいないのだが、この時代は  東京12チャンネル で中継されていたため、人気も知名度も高かったそうだ。

小畑選手と佐倉選手は、昭和46年の日本女子プロレスの解散後、空白期間を置いて、昭和49年からは国際プロレスの女子部 に在籍。これは先日、訃報が伝えられたばかりのストロング小林さんの国際プロレス離脱 → TBS中継終了を受けて、東京12チャンネルでの国際プロレス中継開始の条件として、局側から 「安定した視聴率を見込める女子プロレス枠の設置」 を求められてのものだったそうだ。

同時期に発進している全日本女子プロレスと同様に、東健三 選手、スマイリー・キング 選手、そして外国から招聘の ロード・リトルブロック 選手、マイティ・アトム 選手と、4選手による 小人プロレス も「特別参加」として実施されている。

広告で顔写真は拝見できないが、エオマップ・ピリカ選手の アイヌ娘の新人 というコピーは、今ではなかなか目にしない感じだ。

 

 昭和44年2月の東京12チャンネル新聞広告