初夏のソウル・奨忠洞を歩き回る
マチノアルキの続きです

後半戦は太極堂の裏手からスタートです

日本植民地時代、
奨忠洞一帯には日本人が住む町があり、
東四軒町・西四軒町と呼ばれていたそうです。
陸軍の官舎が4軒あったから・・・という
太極堂の裏手あたりにあった
「南山荘」という料亭の隣に
「南山荘前高台」と呼ばれる
文化住宅団地があったそうです。
1930年代に建てらてた文化住宅が
数軒だけ残っていて、それを見に行きます。
主宰者のマチノさんによると
この壁の向こうにあるそうですが
塀でよく見えません

ちょっと前までは壁が無かったらしくて
空地の向こうにある
文化住宅がよく見えたそうですTT
後から、
ストリートビューを確認したみましたが、
確かに2019年2月時点では
まだ柵だけしかなかったみたい。
もちろんこれで諦める訳にはいきませんww
ぐるっと回って反対側に行くと
間近に見ることが出来ました!
屋根の形などは日本式家屋ですが、
リモデリングしているのか?
そんなに古さは感じなくて、
90年近い建物とは思えません。以前は家の周囲まで行けたそうなのですが、
中に入れないように柵が作られています。
町野さんの話によると
どうやら隣接するパラダイスグループの
倉庫として利用されていたみたいで
部外者が入れないようになってしまったようです。
きっと防犯上の理由なのでしょうね。
反対側に回ってみたら、
もう1軒の家も見ることが出来ました。
今は人が住んでいる訳ではなくて、
風前の灯ですが、
わずかに残った当時の面影を
感じることが出来ました!
文化住宅を後にして大通りに出ましたが、
こちらも何だか古そうな雰囲気です。
以前は松原という焼肉屋さんだったみたいで
現在はCoffee beanの一部になっているみたいですが昔の面影が少しだけ残っているのかもしれませんね。
さて、次の目的地へ移動します!
東大入口から東大門歴史公園駅までの一角は、
1950年代に北朝鮮からの避難民が
不法でバラックを立てたことがきっかけで
北朝鮮出身の方々が多く住むエリアになっているようです。
通りに沿ってみんなの後を歩いていたら・・・
続々と中に吸い込まれていきます!!
장충동 공동주택
奨忠洞共同住宅
場所はこちら→konest
細い路地を挟んで
3階建ての建物が続きます。
まるで日本の下町にいるかのような
なんだか懐かしい雰囲気...当初は板切れを組み合わせて
造った家だったそうですが
行政の事業としてセメントで補強して
1968年に合法的な建物として
認定されたそうです。
実際に生活しているエリアなので
静かに一周して大通りに戻ってきました。
当初は北朝鮮からの避難民が
共同生活を営んでいましたが、
もともとの住人は減って、
外国人労働者などが住む世帯も
多くなっているそうです!
長くなったので今回はここまで。
次回に続きます

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