
自由劇場にて。

キャストボード。

前回鑑賞(劇団四季・2014-1-22)からの変更は以下の通り。

下村さんからのお花が!そしてその隣には何故か松岡修造。

ストレートプレイ(台詞劇)のジャンルでありながら、音楽を多用し、歌も歌う詩劇という分類になる作品で、美しい曲が耳に残る。
外国人作家の戯曲を翻訳して上演しているものではなく日本人作家の作品なので、日本人とはやや違う感性の部分を頭の中で日本人だったら…と置き換えをする必要がなく、すーっと頭に入ってくる。
生活は貧しくとも心が豊かだった時代に書かれた作品で、奥ゆかしい内容。
音楽によって、人は心の奥底に眠ってる記憶を思い出す事が出来る、という物語のメインストーリーも、音楽好きとして共感出来る。
これらの要素から、もはや現代劇とは呼びにくい過去の時代を描いた台詞劇の中では、最も好きな作品の一つで、劇団四季で上演していた時代から数えて三度目の鑑賞です。
座席は三列ほぼほぼドセン。
と言っても、この作品の特殊な舞台形状と座席配列からすれば、最前ほぼドセンと言っても間違いはないかと。
初めて観る人にはあの配列は度肝を抜かれるよね。
まずオープニング。
以前はその名前が公式HPにあったものの、配役の発表と共に名前が削除され、当日はキャストボードはもとよりプログラムにすら名前が無い、坂本里咲さんが語りとして登場。
この役はかつては、乞食と同枠で、乞食役でキラリと輝く演技を見せる日下さんのもう一つの見せ場でもありましたが、前期の公演では恐らく日下さんの体調面などでしょうね、何らかの理由でまるっとカットされたんですよね。
里咲さんの語りは、日下さんの様な大きな本は持っておらず、手にしているのはA5サイズの普通の本。
もちろん、『目がイッちゃってる!」など、日下さんの語りに対する独特の賞賛に値する表現も当てはまりません。
また、ごゆるり…など古い言葉は、ごゆっくり…など現代の言葉に書き換えられていました。
ちなみに里咲さんの出番はこの一場のみで、カーテンコールにも登場しません。
~あらすじ~
不滅の劇詩人、加藤道夫が終戦後の日本に見た幻想
物語は、敗戦後の、 どこか不思議な雰囲気の漂う薄暗い裏街が舞台。
一人の男がオルゴールとサクソフォンを奏でながら" 思い出"を売っている。
そこへ訪れる、孤児の花売り娘、
思い出を引きずるようにして生きる街の女、
したたかに俗世をすりぬける広告屋、
恋人に想いを馳せるGIの青年、陽気な乞食。
そして、思い出をなくした黒マスクのジョオ。
彼ら通りすがりの人間たちは、
戦争によって「過去」と「現在」を大きく隔てられた人々。
音楽によって思い出を呼び覚まされた人間たちは、そこに何を思うのか......(公式HPより)
この作品を観るのも三度目なので、細かい事は過去記事を読んで頂くとして。
2011年9月
2014年1月
作品の内容は、劇団四季時代とほぼほぼ変わらず。細かな変更はあるかも知れないけど、そこまで大きく、ここが変わった!という場所は、少なくとも気付きませんでした。
ただ、四季時代と比べると、各登場人物の出捌けが妙に段取り臭くなったなぁ…という印象を受けました。
大袈裟に書いちゃうと、次、私の出番だから袖幕の裏から取り敢えず出るね、よっこいしょ…みたいな感じ。
あまりに、前の人物が捌けてから次の人物が登場するまでの間が短く、いかにも歩いてたら偶然この場に出くわした感ってものが全然ない。
唯一、偶然出くわしたんだろうなぁ…って雰囲気が出ていたのが、野村さん演じる街の女だけ、かな。
花売り娘のはるみちゃん(8歳)が、四季の頃と比べると全然子供っぽさがなかったなぁ…とか
広告屋が台詞を噛んじゃったなぁ…とか
思うところは色々ある。
んでもって注目してたのが、日下さんの当たり役・乞食を受け継いだ山口さん。
そして、芝さんの低く響く声が妙にマッチしてた黒マスクのジョオを受け継いだ斎藤さん。
まず山口さん、日下さんのヨボヨボな乞食を見慣れてると、妙に元気がいい乞食です。
動きもきびきびしてるし、声の通りも良い。
動くのもしんどそうで、喋ってるんだか呟いてるんだかわからない様な日下さんの乞食と比べると、随分と生活に余裕を感じます(笑)
でも、だからと言って全然ダメかと言うと、そこはさすが山口さん。いい味出してましたよ。
日下さんがおじいちゃんだから、乞食っておじいちゃんなのかと思ってたけど、あの伸びに伸びた顎髭と髪の毛を綺麗に落として、小綺麗な恰好をさせたら、実は初老の紳士なのかも知れない、みたいな(笑)
そうそう、前期(2014年)の日下さんの乞食は、それこそ生きるに困窮していて、とても懐に大金を忍ばせてる人とは思えないヨボヨボ感だったけど、前々期(2011年)の日下さんの乞食は、そう言えばこんな感じだったなぁ~って思いました。
登場した頃はよぼーっとしてたのに、自由を我らにを聞きながら妙に活き活きとしてて、その後の語り口調がしっかりして、世の中の欠陥を熱く批判する、みたいなね。
それから、黒マスクのジョオ。
斎藤さんはこれまで、ウィキッドのディラモンド教授やオペラ座のレイエ/ルフェーブル、ハムレットやこの生命誰のもの、などストプレで拝見してますが、いずれにしても悪役的な人物像とは無縁で、個人的には比較的高い声でペラペラしゃべるイメージが(キャラ的に)付いてるんですが…。
これが見事。
こんなに声って変わるものなのか!と思う程、低くて響く声。そして存在感。
そして、思い出を売る男に、自分の過去について色々と問い掛けられた時に、顔に現れるちょっとした変化。
演技派ですなぁ( ̄ワ ̄)
そして、この作品で個人的に一番好きな、GIの青年(ジョージ)と恋人ジェニイ(ジニー)のシーン。
やっぱりホロリとさせられますね。
もちろんジョージとジニーの会話は全て英語なんだけど、いつこっちに戻ってこれるの?とか、いつもあなたのことを想ってる、とか、おやすみダーリン、とか、本当に普通過ぎる会話しかしてないのが、余計に切ない。
今回は英語の部分により注力して聞いてたんだけど、あの青年の台詞が格好いいんだよね。
ジニーとの会話が終わった後に、値段は幾らか?と聞いて、男が100円と答えると、男のリアクションから察するに、100円の少なくとも数倍、相当な多額のお金を渡したんだろうけど、その後、男の『NO!NO!』というリアクションに、ジョージは男の肩に手を置いて『Forget(忘れろ)』って言うんだよね。
どういう意味の忘れろ、なのかなー。
今見た事(GIが普通の青年に戻ってしまった事)は忘れろ、って口止めの意味だったのか、或いは、その金は黙って取っておけ、って言うジョージなりの感謝の表現だったのか。
ジョージの口調から、後者であって欲しいなぁ、と考えるのでした。
GIとジェニイは3期連続(それ以前は見てないので知らないけど)で佐久間さんと観月さんのペアなので、息もぴったりね。
しかし、この恋人ジェニイを昔は秋夢乃さん(当日、鑑賞に訪れてましたが)が演じてたらしいんだけど、ちょっと観てみたかったなぁ。
あと、初見のお客さんがそれなりにいたのか、GIの英語を全く聞き取れずに立ち尽くす男や、乞食が懐から出す札束に、いい感じの笑いが起きてました。
そうそう、今回の鑑賞で初めて気付いた事が一点。
なんで、今の今までこれに気付かなかったんだろう?って思う程簡単な事なんだけど。
幕。
舞台の幅からすると明らかに小さくて、くすんだ灰色の幕。
あれって、作中に男のサクソフォンの色に合わせて色々なものが浮かび上がる、あの灰色の壁を表現してるんだね。
今あなたが観たこの物語全部が、あなたの記憶の中にある思い出なんですよ、って意味なんだろうな、きっと。
また何年か後に観たい作品です。
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