
音楽座ミュージカル鑑賞は前作【ラブ・レター】以来2度目。
新作だった【ラブ・レター】と違い、今回の【泣かないで】は20年前に初演を迎えた、音楽座の古典作品のようです。
劇場は、劇団スイセイミュージカルのフットルース以来となる池袋の東京芸術劇場プレイハウス。

当日はバックステージツアー(以下、BST)がある公演だったので、こちらにも参加。
集合時間を、チケットを用意して下さった劇団員の方に聞いたところ、開演の1時間45分前とか2時間45分前とか情報がはっきりしない中、実際は2時間15分前集合だったと言うハプニングはあったものの、無事にBSTに参加できました。
BSTで前説を担当した劇団員の藤田将範さん(左)と渡辺修也さん。

この二人の前説が面白すぎました。
俳優が使っているマイク一機あたりの値段当てクイズをして、お客に値段を言わせるも、いつの間にかオークションになってて、一番高値を発言した人がお買い上げしたことになってたり(笑)
BSTは劇団四季で言うところの、リハーサル見学会とバックステージツアーを併せた内容で、当然四季のそれよりもボリュームは満載。
リハ見のあとは『泣かないで』の原作『わたしが・棄てた・女』にちなんで、わたしがチーム・棄てたチーム・女チームの3チーム(ネーミングにみんな苦笑)に分かれて舞台見学、各チームに俳優さんが同行し、見学もセットパート、小道具パート、衣装パートの3パートにそれぞれ説明係の俳優さんがいる感じでした。
BST終了後40分間の空き時間で軽く食事を済ませ、いよいよ本編です。
キャストボード。

座席はI列上手ブロックセンター通路側。
前列が通路で座席がなく観易い席でした。
-あらすじ-
物語の舞台は戦後間もない東京。
街は復興のエネルギーに満ちていた。
貧しい大学生の吉岡努は、ある日雑誌の文通欄で知り合ったクリーニング工場の女子工員、森田ミツとデートをする。
大学生とのデートに胸をときめかせるミツ。
しかし吉岡は、ただやるせない気持ちのはけ口が欲しいだけだった。
ミツと一夜を共にした吉岡は、その後下宿を引き払い、姿をくらませる。
そんな事を知らないミツは、吉岡と会う日に着ていくことを夢見て、カーディガンを買う為に残業に励んでいた。
やっと手にした給料袋を握り締め店に出かけるミツだったが、酒と博打に溺れる工員の田口が生活費の事で女房と言い争うを偶然に目撃してしまう。
目をそらし通り過ぎようとするミツの心に、女房に背負われている赤ん坊の泣き声が突き刺さる。
結局ミツは残業で稼いだ金を田口の女房に差し出してしまうのだった。
一方大学を卒業し小さな会社に就職した吉岡は、社長の姪である三浦マリ子に思いを寄せる様になる。
社員達が帰った夕暮れのオフィスで話したのをきっかけに、吉岡とマリ子は急速に親しくなっていく。
マリ子と映画に行く約束を取り付けた吉岡は、幸せな気分に浸りながら雨の街を眺めていた。
そんな時、急にミツの面影がよぎり戸惑う吉岡。
同じ頃、大学病院の窓から吉岡と同じ鈍色の空を見つめているミツの姿があった。
手首にできたアザを検査してもらったミツは、医師からハンセン病という宣告を受ける。
富士山の麓にある復活病院、そこは世間からうとまれ、死を待つだけのハンセン病患者が集められる病院だった。
さいなら、吉岡さん…
吉岡への思いを断ち切るように、ミツは竹林に囲まれた復活病院の門をくぐっていった。
-公式より-
この話は実在した人物をモデルに書いてるそうで、原作者の遠藤周作氏が大学生の時に出会った看護婦が主人公の森田ミツのモデルになっているそうです。
作中、ハンセン病と診断され誤診だったとわかった後も入院先だった復活病院に看護婦として携わっていったミツ、という生き方はモデルになった井深八重さんと言う看護婦の生き方をそのまま描いたそうで。
以下、ネタバレを含む感想。
まずこの作品、全編通じて良い音楽が多いですね。
歌唱曲に限らず、BGMに使われている曲も。
一幕でミツと吉岡がデートで行ったBarで演奏されてるという体で、バックで歌われているナンバー『棄てた女』、二幕での吉岡とマリ子のデートの時に流れるサックスの感傷的な音色…あれは曲名で言うと『In Movie』になるのかな?
昭和の高度成長期の頃に流行ってそうな(あくまでもイメージ)そんなムーディーな曲。
またこの作品の主題歌的な位置づけであろうナンバー『泣かないで』と、同じメロディーが使われている『会えない日々』の二曲はその旋律が一発で頭に入ってくる印象深く美しいナンバーでした。休憩明けの合図にも、オルゴールで演奏されたこの曲のメロディーが流れてたね。
勢いがある合唱ナンバーも多い中、こういった聞いていて落ち着くというか、耳ざわりの良いナンバーも多くあった印象。
登場人物について、主役格の吉岡努を含め別段特記すべき特徴はさほどない人物ばかりが連なる中、森田ミツの特徴的なキャラクター像は凄まじいものがある(笑)
よく言えば素朴な…、絵に描いた様な“垢抜けない田舎娘”って感じの外見や、訛りが強い喋り口調。
訛り口調と言えば気になってたんだけど、ミツが喋る台詞の中で、効果的に使われてる『さいなら…吉岡さん』って奴。
劇中では、ミツは川越出身って言ってるけど、川越の人はこんな言葉使わないよな…?って疑問に感じつつ。
一体どこの言葉なんだろうか?と思いながら、ミツの台詞を振り返ってたら、他にも特徴的な台詞が幾つか…。
『さいなら』『そうなん?』
関西弁じゃないか!
何故川越出身で関西弁をしゃべるのか。
ちょっと釈然としない箇所でした。
片や吉岡は悪い取り巻きに遭いながらも新しい恋を見つけ、結婚して幸せを手に入れると言う自分本位な生活を続け、片やミツは稼いだお金を困った人に手渡し、人の罪を被って仕事を解雇になり、果ては病気と診断され、一種の隔離病棟に押し込められる。
あの日あの晩、たった一度だけ交わった二人のあまりにくっきりと明暗を分けたその後の運命を対照的に描きつつ、それでもミツの影は執拗に吉岡に付きまとう。
皮肉な事に、吉岡の脳裏にミツの影を呼び戻すのは、自分の妻の発言であり、自分の友達の発言であり、ミツの友達の発言であり、ミツ本人は一度も関わってきていない。
その裏でミツに当たるスポット、ハンセン病の疑いで入院し『一生誰からも愛されない』と泣き崩れる姿から誤診とわかり退院するまで、退院後病院に戻りそこで働き始め、患者達がどんどん明るくなっていく様子。
あの一連の流れは気持ちを高揚させる効果があった様で、やけに心拍数が上がった感じがしました。
その中で、リハ見で見せてもらった『ミラクル』と言う神秘的なシーンと、ミツが気にかけていた6歳の子供の患者の容態の急変を受けて祈りを捧げるミツ、この二シーンは感情が昂ぶりました。
そして、やはり妻の一言に端を発して、入院している(実際は退院して働いてる)ミツに宛てて吉岡が書いた年賀状に対する、修道女スール山形からの返事の手紙によって告げられた、ミツが辿った悲運の最期に思わず涙。
死ぬ間際まで名前を呼んでいた、と言うのは、純愛もののドラマなんかで使い古されたベーシックな手法だけど、この物語では、昏睡から一瞬だけぼんやりと目を開け、何かを探すように手を動かし、最期に“あの台詞”を言って亡くなった、と言うものでした
あの台詞ってのは、あらすじにも書いてあるそれです。
同じ“最期まで思い続けた”でも、少し言い換えるだけでこうも受ける印象が違うものか、と感心しました。
『男はみんなやってる事じゃないか』と、吉岡が述べているのは正論だと思います。
男だけに限らず女だってそうだと思う。
昨日今日たまたま接点を持ったに過ぎない人が、その数年後にどうなるか考えてる人なんていないだろうし。
片方はその場限りと思い、もう片方は生涯を通して愛していても、縁が無かったと言えばそれまで。
でも、その場限りと思った相手が残していった小さな“何か”に、積み上げてきたものを壊されることもある。
それは形があるものかも知れないし、形がないものかも知れない。
そんなお話でした。
海外産ミュージカルのような劇的な展開こそないものの、心にグッと沁みる作品でした。
原作者の遠藤周作氏が泣いた作品。

この記事に、涙ひとしずく。