劇団四季【この生命誰のもの】 | たかびの自己満観劇ブログ
今年の四季初め@たかび.こみゅです。

昨夜は劇団四季のストレートプレイ【この生命誰のもの】を鑑賞してきました。
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交通事故で四肢不随になった彫刻家が、回復する見込みがないとわかっていながら医師としての使命を全うする為に治療を続ける医師に反発して尊厳死を望み、それについて裁判を起こす、という物語。

四季の作品では場面設定を日本に置き換えていますが、元々はブライアン・クラーク著作の海外の戯曲の様で映画化もされているそうです。

内容が内容なだけに観客の年齢層も比較的高めでしたが、空席も少なく開演前や休憩中のロビーもごった返していました。

こちらキャストボード。
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味方さん、志村さん、野村さん、吉谷さん、中野さん、勅使瓦さん、山口さん…ベテラン揃い、錚々たるメンバーですね。

主要な配役について…

患者で主役の早田健に味方隆司さん。

田邊真也さんと並んで四季で一番作品数を観ている役者さんですが、観るのは凄く久し振り。
今回は介護ベッドの上に寝たきりの状態で全てのシーンを演じるという、非常に変わった役柄かつ非常に難しいであろう役柄。
身体の動作を一切使わず、顔の表情と声の抑揚だけで、患者として様々な感情の演技を見せます。

主治医役に志村要さん。

ストプレ、特に悪役には欠かせない存在ですね。
今回も、悪役ではない…むしろ医師としての正論を言っている筈の主治医が悪役に見えて仕方なかったのは、きっと志村さんが持つイメージの為せる業かと…(笑)
本当は根っからの芝居好きなおじさんらしいんだけどね…(笑)

研修医に浅利夫人、野村玲子さん。

研修医と言っても今回の作品では“研修医”という響きから受ける印象ほど若い役ではなく、それなりの地位にいる役の様です。

あのトシで研修ってどうなのよ…(笑)という前評判も、実際に観てみたら違和感はありませんでした。

そして何と言っても野村さん、昨今ではミュージカルにちょくちょく顔を出しちゃ酷評ばかりが聞こえてくる元・看板女優ですが、特に細かい表現や醸し出す雰囲気が物を言うストレートプレイでは、さすがベテラン女優という味がありました。

ストレートプレイでも、オンディーヌの様にやや無理がある設定の役(オンディーヌは15歳という設定)ではなく、こういった役の場合、夫人だからと毛嫌いして敬遠するのは勿体無い気がします。

今回は過去に観た夫人の中で一番良かった印象です。



舞台は床から緞帳から白で統一された異様な風景…まぁ病院なんだからそりゃそうだろうな…と思いつつ、それほどきれいな白ではなく、くすんでいてあまり気持ち良い空間ではありませんでした。

セットは主役になる患者の早田健の病室を中心に、上手側に婦長室、下手側に主治医の部屋で固定、その他のスペースは全て院内の廊下という設定で、動く事が出来ずに劇中の100%をベッドに横になった状態で過ごす早田健を除く全ての登場人物が、早田の病室の周りをぐるぐる歩き回りながら各シーンを演じるという、見えない壁を大きく利用した舞台構成。

見えない壁はあるんだけど、全ての部屋に扉がない(誰一人扉を意識した動きをしない)という、情景が見えて来にくいお芝居だった様に思います。

※病室だけでなく、幾ら何でも扉が無い、或いは開けっ放しになっているわけない筈の婦長室や主治医の部屋でも、扉の開け閉めは一切なかった。

或いは、廊下から入っているという感覚ではなく、あるラインから中は部屋の中のシーン…という設定なのかも知れないが、それだと余計にややこしくなる…。

作品について(ネタバレ注意)

まず非常に気になったのが、台詞毎台詞毎にしつこいと思うほど、その台詞を向けられてる相手の名前が入る(~なんですよ、○○さん、と言った感じ)のが非常に違和感があった。

幾ら病院と言えど、そんなに毎回毎回名指しで喋るか?1つ前の台詞でも語尾に名前付けたよね?次の台詞でも語尾に名前付けるの?と言うくらい。

看護学生が婦長の命令に対し、ハイ!婦長さん!と毎回言うのは、よっぽど真面目で礼儀正しいんだな…で済む話なんだけど、全員が全員そうであっては、何か理由があるのか?と疑わざるを得ない。

一人ひとりの名前と顔を印象付けする為と言えばそれもあるのかも知れないけど、そこまで何度もしつこく名前を呼ぶほど登場人物は多くないし、同じストレートプレイなら【解ってたまるか!】の方がよっぽど、これをやって欲しいと思える位に登場人物が多かった。

後半になればなるほど、法律絡みの専門用語など聞き慣れない言葉が頻発し、長ゼリも多くなり、役者さんからすれば台詞面で演じるのが難しい作品だったんじゃないかと思います。

そのレベルは、ベテラン俳優陣の中では群を抜いて開口が強く台詞をはっきり喋るイメージの吉谷昭雄さん、味方隆司さんの二人が、揃って発音でミスをしてしまうほど…。

精神科医役の吉谷さんは主治医との会話中に発音が不明瞭になり、患者役の味方さんは非常に長い台詞の途中で口が回りきらなかった。

ミスが本当に目立たない四季の舞台にしては、この作品は特にミスが多かった気がします。

上記の二件以外に、弁護士役の斎藤譲さんも台詞を噛んでしまい(台詞を間違えたり、つっかえたりしたワケではなく、自分的におかしいな?と感じて言い直してしまったんでしょうけど)、その時に明らかに素に戻ったのが表情に出てしまうという、四季の俳優らしくないミスも。

舞台、映画問わず病気を題材にした作品は、人によって激しい嫌悪感を抱く場合もあるというのは良く言われる話だけど、この作品も場面によって人に寄ってはイライラ来るかも知れませんね。

舞台だからわかりやすく誇張して描いているのかも知れないけど、個人的には反発する患者の意思に反して病院側が薬剤を強引に注入するシーンは軽い怒りを覚えました。

現実を考えれば、錯乱状態の患者に精神安定剤を強引に注入するのは当たり前の話のはずなんだけど、作品の観点が観点なだけに、もちろん正当な理由があり行われている事も、一つ一つ考えさせられる行為に見えました。

また、医者としての責務を果たそうとする主治医の主張が(志村さんのキャラ的なイメージもあるかも知れませんが)悪に感じてしまうシーンもありました。

医学上の『生』と、患者が感じる『生』は必ずしも一致せず、『生きている』と『生かされている』は別物であり、自分の意志で動かす事が出来ない身体は死んでいるのと同じ、という患者の論は、考えさせられる人もいれば嫌悪感を抱く人もいると思う。

今回のケースは、医者として人の命を守りたいと願う医者の正論と、人間としての尊厳を守り自分の結論は自分で出したいと願う患者の正論がぶつかりあった、正論対正論の難しい戦いでしたが、自分だったら自由になりたいな、と感じました。

余命宣告された人が余生を精一杯自分の為に使って宣告より長生きした、という話は良く聞くし、そういう話に対する憧れもあるのかも知れないけど…。

医師の判断を振り切った挙げ句路頭でみっともない姿で野垂れ死ぬのも嫌だけど…。

でも今回の作品を観た限りでは自由を選びたいな、と感じました。

芝居としても、患者の意思を汲み取ってしまった研修医が、主治医に真っ向から対立意見をぶつけたり(患者の意思に支配されていく研修医、野村さんがこれまたびっくりする程良い表情を見せるんですよ)、弁護士が動き回る様もドラマとして見応えあったり、とても面白い作品です。

この作品を観る事で大切なのは、現実はこんなではない、こんな事は現実的に許されない…ではないと思います。

何故ならこれは芝居であり、ドキュメントではないから。

全てを現実のままに描くなら芝居でやる必要は皆無であり、芝居である以上思想的論争の舞台になりうる訴えを行うのは大いに結構だと思うからです。

賛成もあれば反対もある。至極当然な事です。

公演期間が短くなってしまったのが残念。

当初の発表通りのスケジュールでやってくれたら、もう一度観に行きたいと思える作品でした。

ストレートプレイでもう一度観たいと思える作品は多くなく、今のところ【思い出を売る男】と、この【この生命誰のもの】だけです。

さて、次回の四季鑑賞は、本日マチネの【美女と野獣】my楽、そしてソワレの【サウンド・オブ・ミュージック】です。これから観に行ってきまーす♪

この記事に熱い弁護。